迷走

 死んだ曾祖母はキリシタンだった。

 一世紀近い時の流れを支えた純白の遺骨を眺めながら僕が考えていたのは、曾祖母の神に対する姿勢だった。国のために、神のために、そのような大きな物語が途絶え微分されたショート・ストーリーが乱雑される現代にあたっては、一個のものに向き合うという姿勢は淘汰されて虫の息だ。人々は信仰を失った。それは神に対してだけではない。物に対して。自然に対して。世界に対して。粗雑に扱われた傘が妖怪になること。幸福が精霊の業とされること。それらの伝説は人間が諸世界のすべてに対して信仰を抱いていたからに他ならない。現代のそれはカルトなオカルトとして扱われるに留まるだけだ。では、信仰を失った人間は何に縋るのか。発達した技術文化はいとも容易くその問題を解決してくれる。競争を煽る社会圧力、欲望を煽る情報群、興奮を促すジャンク・コンテンツ。端的にまとめれば動物的欲求。それを強烈に刺激してやることで心に穿たれた悩みや不安という名の穴を埋め立てていくのだ。人々はそれで安心を得ることができるし、それを得るためには、露骨に言えば弱者から目を背けさえすれば良い。弱者を喰らいただ食料を待つだけになった、成功した、オスのライオンはとても幸せそうだ。

 さて僕はそれが嫌いだ。人が本能を剥き出しにするその姿が嫌いだ。つまるところ僕は人間を信仰しているヒューマン・フォローワーということになる。動物的欲求に留まらない人間の力があるということ、僕はその考えから目を背けることは出来なかった。そう言うと、なにか痛切な想いを僕が抱いているみたいだ。けれどもその想いは軽過ぎる、ということを僕は知っている。あの曾祖母の、神への想いに比べれば。

 曾祖母は時々、僕に神についてお話をしてくれた。

「神様はね、目には見えないのよ。でもね、いつでもそこで私たちを見守ってくれているし、皆を救ってくれるの」

最初は、僕の兄弟たちにも話していたが、彼らは神に興味を抱かなかったようで次第に話を聴かなくなった。僕とても特別神に関心があったわけではなかった。陽光に包まれた暖色の揺り椅子に腰掛けて、神について語る曾祖母、聖書を開く曾祖母、神に祈る曾祖母。その姿は語りようもないほどに、とても美しかった。このような人になりたいと思った。神を想い信じるこの人より他に美麗な人を、僕は見たことがない。繰り返そう、僕は本当にこの人のようになりたかった。けれどなりかたは、一向に見通しがつかないでいる。

 曾祖母の葬式を終えた翌日、学生の身である僕は親が作ったトースターを喰らい制服を着用して、至極当然のような振る舞いで学校に通う。授業を受ける。部活をこなす。先に部活動を終えていた彼女と合流し、夕焼けの中下校する。僕は彼女に曾祖母のことを話してやった。「神はいるのかな」そんな普遍的で素朴な話になった。

「神様って雲の上にいたりするよね」と彼女が口を開く。

「まあそういうタイプもいるね」

「それってつまり人間の外部にいる。それで一つ思い付いたんだけど、キリシタンが掲げてることって神の他にもあったよね」

「それは何?」

「愛。……アガペーだね」

「…………うん」

「……その、それは一人では成り立たないじゃない?他者がいてはじめて成り立つ。それってつまりもともと人間の中にあるものなのかな?」

「神が外部にいるように、アガペーもまた人間の外部にある、か。」

「そうだね。人の中にアガペーがあるんじゃない。脳や胸や手にそれがあるんじゃない。人と人との間に形成された見えない空間にアガペーがある。」

 愛や神、本当に大切なものは中ではなくむしろ外部に存在する。ならば、神はどこの空間にいるのだろう。曾祖母のように神を信じれば良いのだろうか。でもそれはいわば、人と想像上の神との間に形成された愛に過ぎないのではないだろうか。それは神の本性とは言い難いのではないだろうか。曾祖母は神をどう捉えていたのだろうか。分からない。彼女は既に旅立ったのだから。

 一通りの話題を終え、僕は彼女に欲しい誕生日プレゼントを聞いた。「サプライズって知ってる?」と返されたので「サプライズは嫌いなんだ」と返した。「来年までにサプライズの技術を身に付けてください」と言われたので僕は来年までにサプライズの技術を身に付けることになった。が、よくよく考えればそれは来年サプライズをする、ということが確定してしまい、それは不確定要素を要するであろうサプライズ足り得ないことだと思った。だから僕は再来年、サプライズをすることに決めた。2年後にまだ僕らが繋がっているならば。分かれ道で彼女とさようならをして、一人の帰路となる。

 美は満ち溢れていた。隣を歩く彼女の笑み。街に沈む陽光の輝き。アスファルトに咲く花。茜色の雲海。漆を塗ったような烏の羽ばたき。人いきれの喧騒。そのような中で僕だけが場違いに感じた。一面の白に垂れた一、二点の、無造作な黒のように自分を捉えた。世のすべてのものには反対のものがあって、白は常にその対岸となる黒に侵される可能性を秘めている。一人になって急に気分が沈む。僕は身を翻して家とは別方向に歩き出す。

 痛切さが足りないとよく思う。誰しもがなにかを望んでいるはずだ。それと同じように僕もなにかを望んでいるはずだ。けれど、僕がなにを望んでいるかなど知りはしなかった。神を望んでいるかもしれないし、愛を望んでいるかもしれなかったが、しかしそのいずれもが的外れに感じた。僕は陽光の白の中にいる曾祖母を思い浮かべる。僕は曾祖母と同じ場所に辿り着けるのだろうか。可愛く微笑む恋人を思い浮かべる。僕らは愛し合っているのだろうか。歩く。歩く。徘徊する痴呆老人のようだと自虐してみるが、特に感慨を抱くものでもなかった。回る思考の中で自分がなにを求めているのかを考え続ける。知りもしないものを痛切に求めることは出来ず、分からないまま求めたところでなにを得ることも出来ない様相を呈するだけだ。僕はただ悩むことを欲しているのか、と思った。いやそんなことはない、と思った。けれども、じゃあ悩むことを欲しているのを否定するという、その思考の流れがお前の望むものなんだなと声がする。このような、黒の負の連鎖にはキリがない。僕は思考を打ち切ってただ歩いた。視界もおぼつかず、頭もぼんやりだ。ただ歩く、ひたすらに。夕日が沈み夜の帳が降りてもずっとずっと、どこまでもどこまでも。

 やがて足に疲労が溜まり、それでも歩き続けていたが、公園を見つけるとフラりとベンチに座り込んだ。そうしてもう立たなくなった。そこでぼうとしていた。それもずっとそうしていた。もうあまり、立ちたくはなかった。痛切さが足りないとよく思う。曾祖母が神を信じる姿。親が僕を想う姿。彼女が僕に向ける眼差し。それ以外にも様々の人々、あるいは動物たち。

 皆が痛切になにかを求めている。皆がなにかを。僕は、なにを求めているのだろう。靄のかかる頭が思考や連想を巡回して、どこにも辿り着かない。僕はなにかを求めている、のに。僕は眠りもせずに座り尽くしていた。ずっと、ずっと。そうしているうちに空が白々としていく。ああ、親を心配させたな、とか、学校に行かないとな、制服だしこのままでいいか、とか、現実に引き戻される自分をとても情けなく思った。白い朝日が姿を見せていき、黒は去り、世界はありありと美しくなっていった。