ある一人の警官

 フェンスの向こう側で、燃え上がる街をバックグラウンドにして無数の人影が呻き蠢いている。かつて人間であった奴ら。今はおおよそ人間ではない奴ら。そいつらの濁った色をした指がフェンスを掴み、離れ、絡み合って壊れた楽器みたいにガシャガシャ、ガシャ、ガシャ、ガシャガシャ、不規則で不愉快な軋み音を発している。

 フェンスの「こっち側」には俺一人。他の人間は皆、俺の背中側の方向へ逃げていった。「それはそうかもしれない」俺は呟いた。「残っている俺が可笑しいんだ。」

 残っているだけでは飽き足らず俺はフェンスへと近づいていく。近づいていくほどに、むしろ近づくというよりは引き寄せられるように、なんだか楽しくなってくるような気がしたのだった。それで心なしか奴らの声が一層興奮したような感覚がした。奴らが人間を喰らっているのは見ていた。するとこれはあいつらから見ると餌を差し出されたような格好になっているのかもしれない。あるいは意識が残っているのかな? あの呻き声は実は助けを求めているのかもしれない。しかしそれなら食人行為は本末転倒も良いところで、本能だけで俺を喰おうとしているようなものなのか、本能を抑えきれない状態かのどちらかだろう。俺も人のことは言えないのかもしれないが。そう考えながら腰に差していた黒く光るスリムな銃身、ペレッタ92FSを見やる。

 俺は、日本では野山の熊は殺す必要などないが、人里に降りた熊は殺さなければならないという話を思い出し(どうでもいいがラクーンシティラクーンとは『アライグマ』の意を指す)、まだ暴動が起きる前の平和な朝に、本日初出勤の新人が全く来ないことに苛ついていたのも思い出した。

 それでベレッタ92FSを引き抜き小気味良い音を鳴らしてセーフティを解除し引き金を引いて、一人の眉間を撃ち抜いた。ようやく腐臭のする肉体から抜け出せたと言わんばかりに赤黒い血が放射状に噴き出した。解放の喜びに舞っている血液のその器だったものはぶっ倒れ、もう二度と動きそうになかった。しかし周囲の奴らはその様子になんのリアクションもしなかった。別に驚かせるとか怯えさせるとかそんなことは期待していなかったが……つまり、そういう、気に掛けるとか、仲間意識とか、ああいうやつがまるで無い。

 それを感じ取ると同時に、自分の中でなにかのスイッチが入ったような感覚があった。なんだか子供に戻ったような感じ。なにか奥に埋もれていたものが競り上がってくる感じ。声に近い透明のなにか。

 そうだ、ガキの頃は喧嘩ばかりしていた。ああいったものは、やらなきゃやられるからだ。だが少しばかり勉学に熱心なハイスクールに進学すると周りのやつらは皆大人しくなった。俺は最初はそれで良いと思った。『もうこれで自分は加害者ではなくなる』そう思ったからだ。だがそうではなかった。俺が率直に、思ったことをそのまま言うと傷付く人間が多いことに気付いた。こんなものは思春期の傷跡みたいなものだと笑いたい自分もいたが、しかし、自分が加害者である、という意識は粘っこく残り続けていて、その反動のように俺は「優しい人間」であるよう努めていた。それでも俺は人を傷付けるのと同じぐらいには自分を抑えるというのが好きではなかったから、抑圧している欲求を満たすようにボクシングをやり始めたのだけど、そういえばボクシングをやる直前になにか奇妙なことをしていたのに思い至った。

 父が仕事に行き、母が出掛けている時、家のガレージで自分が好きだった一冊の本を燃やしたのだった。火の付き始めた白い頁はゆっくりと黒く変色し、そして存在が失われるように消えていく。

 フェンスの不規則な音楽が聴覚を叩き起こす。やつらの呻き声が淀むように流れている。なぜこんなことを今、思い出すのだろう。炎を見たせいかもしれない。なぜ俺はあんなことをしたんだろうな?

 俺は一発一発じっくり狙いを定めて、やつらの頭を撃ち抜いていった。そのうちに弾倉がカラになった。コイツの装弾数は15発だから15匹死んだ。なんだかこれじゃつまらないな! 残りの弾丸をリロードして今度は見境無く撃った。外したり、腕に当たったり、足に当たったり、腹に当たったり、バリエーション豊かに血飛沫が飛び散った。そうして弾が再び切れたとほぼ同時に歪で巨大な音を立ててフェンスが倒された。無数のゾンビの群れが、俺に向かってくる。

「いいだろう」俺はベレッタを放り捨てて警棒を取り出した。多量のアドレナリンのような感覚が熱をもって身体中を走り回っていた。なんだか楽しくて仕方がなかった。どいつもこいつも鈍い動きをしていたが、一匹が素早く飛び出してきた。足の速い個体のようだった。「いいね」俺は走り出す前までは俺の背中側であった方向へと向き直って走った。こうすることで鈍い大群からコイツを引き離すことが出来る。「コイツ、では味気がないのでお前は今日から『足早ジョン』君だ。一対一でやろう。」

 ある程度の距離を作ったところで立ち止まり、俺は警棒を振りかぶって追いかけてきた足早君の顔面をおもいっきり叩き付けた。硬い骨の感触が腕を伝って脳を貫いたかのようにたまらなく快感だった。が、自分が受け取った感触ほどのダメージは足早君にはなかったようで、俺の両肩を掴んで右の方の肩に歯を突き立ててきた。自分の肉ごと突き放すように振り払って顔面をめがけ警棒を何度も打ち付けた。殴る度に快感が走り、相手の顔面は露出した肉なのか血なのか区別がつかないような赤に染まり、そんなことは構わないように再びこちらに両腕を伸ばしてくる。俺もそれには構わなかった。捨て身のように一打を放った。それが最後の一撃になった。

 足早君はようやっと、死ぬという、生命の正しい機能を思い出したかのように、仰向けにくたばった。

 だが俺に安堵はなかった。足早君のもはや顔とも判別出来ない卵型の赤い肉塊をゾンビが踏み潰した。トロくさい連中が追い付いて来たのだ。血でペイントされた青白い面々が目の前で揺らいでいる。畜生。楽しかったのにな。一匹でこの様ならこの数は無理だ。

 俺は奴らに背を向けて崩壊した街の中を走った。走りながら、しかし全く痛みを感じないな、と思った。肩からこんなにドバドバ血が出ているのに。実は俺はもうゾンビなんじゃないか? などと笑っていると、左前の建物からゾンビが出てくるのが見え、捕まる前にさっさと通り過ぎると前方にもゾンビを視認した。

「こりゃあ、先に逃げた連中も皆やられたかもな」と思い、周囲を見渡してもゾンビのいない道などなかったので、自分自身の終わりを悟った心持ちになった。

 殴りかかろうかとも思ったが飽きたような気がして警棒を仕舞い、最後らしく煙草を取り出して火を付けた。が、ずいぶんとド定番な構図になってしまうことが気にかかって他になにかをやりたい気持ちが芽生えていた。「じゃあ俺にはなにが出来るかね」一服吹かして俺は考えた。「この状況で俺はなにが出来る?」

 フィルターが半分になるくらいに煙草を吸う頃には目と鼻の先にゾンビがいる。燃えさかる炎を横切って俺に近づいていく。この暴動が起きてからゾンビも炎も見飽きたものだとそう思ったが、しかし、俺の脳内にちらついたのはあの記憶、本の燃える記憶だった。俺の好きな小説を燃やした記憶。俺はなぜあんなことをしたんだろうな? そして『だったら俺が燃えたらどうなるのかな?』煙草をぽとりと落として踏みつけたことと『そう』考えて次にやる行動が定まったこととゾンビが俺に襲い掛かることが同時に起きた。

 横にすり抜けて躱し、炎の元へ走る。炎の近くには二匹のゾンビがいたが、関係がなかった。炎のすぐ傍で、二匹が襲い掛かってくる。避けきれず片方に捕まり、噛まれる。体力が切れているのか血を垂れ流して力が抜けてきているのか、振り払おうにもなかなかしつこく食い下がって離れそうにない。もう一匹が俺の体を掴む。目の前の炎が大きくうねる。俺を呼ぶみたいに。突き放せないまでも全身の力を使って少しでも炎に近づけるように、ゾンビを押しのける。歯は体に食い込み続け、そうやって殺された人間のことを連想すると少しだけ力が湧いた気がした。

 退屈ではないかと、思ったのだった。そのような死に方をするのはつまらないことであると。俺が今燃えたならば、こいつらも巻き添えになるだろう。巨大な火達磨になるかもしれないなと思うと冗談のように面白かった。炎は先程よりもさらに大きくうねった。そのうねりに触れるように、子供のように必死に、血に汚れた腕を力を込めて伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葬送

 月に照らされた淡い雲を纏う野山の、その中にある潜むような集落の中で村人たちは、酒を飲み、歌を歌い、踊りを舞っていた。

 そのような人々の間を、一人の少年が走っていく。時折行き交う人々が少年に声を掛け、少年もまた声を返していく。しかしその声の中に包まれた言葉は、英語ではなく、アラビア語でもなく、当然ながら日本語でもなかったし、それらの、またその他のあらゆる言語によって翻訳されたことは一度も無い。

 だから彼らは未だ、世界に発見されてはいなかった。彼らの言語は彼らだけのものであり、彼らの中で流れる血は彼らだけのものだった。模様の残る煤けた獣の皮を身に付け、肌はより濃い黒を現して、その分だけ鮮やかな緋色の眼がよく目立った。

 走る少年の視野に篝火が現れ、それが後方に遠ざかったと思えばまた奥の方から篝火が現れる。村中を明るく照らすように、何処までもそれは続いていく。彼らは火という言葉を一纏まりの単語として用いない。時と場合に応じて無数に呼称を変えていく。例えば土鍋の下で食物を煮る火。または屈強な獣を怯えさせ遠ざける火。あるいは傷の消毒を助ける火。彼らにとって揺らめく炎は、必要な時にだけ利用する化学作用のようなものでは決してなく、個的な生命たちのような、そうしてそれはいつでも傍にいるような、傍にいて、自分たちに力を貸してくれるような、偉大な精霊のようなものだった。

 少年は走り続けた。狩りの疲れに誘われて馴染み深い土の上に微睡み、定刻まで幾分もなかったのだった。少年の向かう場所には既に人々が集まっている。今日は鎮魂祭の日となるからだ。三度の満月が訪れる度、その間に死した者たちを弔う祀り。死者に意気揚々とした宴を見せて楽しませ、心配は何も要らないのだと、また、この命たちは貴方が守ってきた誇りなのだと語り、そうして遺族は天上までの道筋を見守るのだ。その火葬は特殊な手法に依っていて、遺族の描く彼らの生きていた姿を保ち、葬る際にも決して死者を穢さない。それは村の重鎮たちに代々継がれている魔法的な技術であり、正しい形によって聖なる炎に包まれた死者たちは、迷いなく天上へ行けるとされていた。

 村人たちは少年の場所を空けてくれていて、彼は待ちくたびれていた母と兄弟との間に、ゆっくりとした動きで腰を降ろす。人々の中心には八人の人間が薪の上で胡座をかいているように見えた。

 少年の目の前には、父が座っている。

 今にも緋色の眼を開けて、快活に笑ってくれそうだ。日々の狩りによって鍛え上げられた肉体も、生きているのと変わらないように見えた。少年に触れた手や大地を踏みしめる強き脚は彼が彼であることの証だった。

 皆が揃ったのを確認し、族長が祈りの言葉を捧げ、そうして手にもった松明の火を薪に移した。火は緩やかに大きさを増してベールのように死者たちを包み込み、彼らは人間の形をした夜に似た穏やかな黒になっていく。

 少年はむしろその隠された形に駆り立てられるように、火の向こうにいる父との思い出を想起するのだった。様々な動物や森や川のことを教えてくれ、誰にも教えていない穴場の釣り場を教えてくれた。少年が村の子供に意地悪をした時には叱り、大きな子供と喧嘩をして負けた時にはあんな相手とよく闘ったなと頭を撫でてくれた。身体の動かし方を教えてくれ、狩りの練習でなかなか上手くいかない時には辛抱強く付き合い、上手くいった時には自分のことのように喜んでくれた。

 少年の緋色の眼は火の色に照らされて二つの赤が混じり合い、調和しているようなひとつの美しい色彩だった。頬には水の跡が出来ていて、涙の粒は既に幾度もその線を流れていた。だが少年はそのことに気付いてはいなかった。彼はものごころついてから泣くことを知らなかった。少年の母が布でそっと彼の顔を拭ってやった。彼の自分が泣いていることに気付いたのはその時だった。その気付きがむしろ彼の美しい瞳を瞑らせ、それなのに涙が溢れて止まらなくなったが、父を見届けなければならないのだという思いに駆られて目の前を見据えようと努めた。

 揺らめきながら燃え上がる火のベールに映る父の影は細くなり始めた。火の葬送が終わりを迎えた時、黒の肌の内部で彼の生を支えた白妙の骨だけが残るだろう。その骨を少年は御守りとし、己の生を全うするだろう。

 村も、家族も、少年も。父が守り慈しんだものを、父という人間の生の証を、この世界に刻み続けるために。

 

 

愚痴

 背後に、意志を持たないまま積まれていくものがある。堆く己の身を掲げる塔のようなそれはしかし、腐臭を放っており、いずれ倒れるのだろう。音だけは音楽のような壮麗さを響かせながら、後には醜いガラクタの広がりが残るだろう。

 だから私はガラクタを積み続けている。いや、正確に言えばいずれガラクタに変わっていくものを積み続けている。例えば、時間。例えば、金。例えば、快楽。ちなみに時間が土台を成しているのでその上にあるもの全てが時の流れにさらわれてしまう、ためにこれから訪れる結末は至極当然のものであり、別のものを土台に据えるべきだったじゃないかという野次が聴こえてきそうではあるものの、金やら快楽やらがいかようにして土台足り得るのかという反論には水を打ったように黙り込んでしまうようで、これは地球が偶然に条件を重ねて生まれ、そして消えることが運命付けられているのと同じものだということを決定付けてしまったらしい。

 そもそも、そりゃあ、その反論はあまりに無神経でもあった。私だってガラクタなんて嫌だから愛だの神だのテクノロジーだの、色んなものを土台代わりに出来やしないか探し回った結果がこの有り様なのだからヤケクソにふんぞり返ってクソ建築物を背景に、あえて優雅に紅茶を啜るくらいしかやることがないのであり、訂正、さっきまで旨い紅茶を町中の喫茶店へと探し回ったりしていたわ(買い忘れたけど)……とにかくそういうことくらいしかやることがないってんだから、使い古された根拠の弱い理屈を脳内に召喚した思考をぶん殴ってやりたいところなのだけど、生憎思考は殴るのに適した形をしてはいないので自由闊達に走り回る権利を剥奪出来ずにいる。

この手の「避けられない終末」なんてものは大体奇跡的なパワーでなんとかなるか、終わりの日まで幸せに過ごそうよ、という辺りまでが妥協点であり、主に私の心を満足させることはないのが苦しい話で、華々しい自由意志が愚かな妄想に変わるまでにはパチンコで溶けていく万札と同じくらいのスピード感があったわけだ。

これは不憫なことだ。盛大であからさまな同情の目を吹っ掛けてドン引きされたいくらいのそういう気分だ。だって、人間生まれた時には意志なんて持ちようがない。生まれに意志はないのに成長するにつれて意志が伴う、なんて非対称性を形作っており、これならば生まれた時から意志がある方が形として美しいという私の突っ込みは間違っているだろうか? 生まれた時から意志らしきものが見えない微生物が意志もなく死んでいくのは美しいし、人間が美しいと感じるものの多くも対称性を持っているというのに、「死」という自然原理と「意志」という人間らしさがぶつかった時だけはやけにブスになるのが非常に頂けないと思うのは私だけだろうか?

 突発的に愚痴を(愚痴に決まっている)打ち切り、振り返って目の前に塔を据えた。土台を探しにいこうと思った。なぜなら奇跡的なパワーもないのだし、諦めるという趣味を嗜んでもこなかったのだから。

 それに、紅茶も切らしちゃったからね。

 

 

 

INTPの桃太郎…らしい。

 日が暮れる前に芝刈りへ行かなければならなかったが、自分がどこから来たのか、この世界は何なのか、という問いが頭の中で流れ続け巡り巡って時間を巻き取り続けていた。ばあさんもまた、彼女なりの思索に囚われているのだろう、家から出てくる様子はない。そうして夜のとばりは下りていき、こうなることを見越し以前貯めておいたもので火を起こすことにした。

 結局芝刈りへ行こうと決めたのは数日後だった。予備のものがなくなって生命の危機を覚え始めたために、動かざるを得なかったからだ。入れ違いで帰ってきたおばあさんは大きな桃を抱えている。「成功か?」という問うが咄嗟に出ていた。「まだ待って」と彼女は返し戻っていった。私も歩き始めた。いくらでも待てると思った。道を間違えないよう注意を凝らしながら歩き続け、いつもの場所に辿り着き良いものを目に付け、緑に安らぎながらどちらかというと無作為に刈り込んで、そのうちに身体動作のリズムが出来上がり思考は現実から独立して宙を舞い始める。舞踏のひとつがあの大きな桃を想起した。気付くのが遅れたが、なぜ大きな桃というチョイスなのか、意味が分からなかった。だが彼女の思考の領域は僕の興味の向くところではなく、桃が重要な鍵を握っているのかもしれないと思い直そうとして再び意味の分からなさにぶつかることを幾度も反復し、意識が現実へ戻る頃には十分な量を採取していた。本当に意味が分からないと思った。

 藁葺きの家に帰り、ばあさんへ桃について質問すると「鮮やかなピンク色をしてるだろ?赤に近づこうとしているほどに。それにほぅら、形が美しい。逆さにすると尚更さ」と予想通り大した答えは帰ってこない。もっとも彼女のほとんど外国語のような知的体系の話をされても困るのだが。火が欲しいというのでさっそく刈ってきたものを燃やすと、それに照らされた桃はいよいよ持って深紅に深まり、驚いたことにその中から赤ん坊の鳴き声がし始めた。紅い桃は溶けて縮小していき、やがて鳴き声の正体であるごく平凡な赤ん坊が姿を現した。ばあさんはサンプル名のようにその子に桃太郎という名前を与える。この子が私の、望みとも呼べない望みらしいなにかを叶えるのだろうか……。

 

 

 

 記憶は無いが、人間は鬼に殲滅されたらしい。そして私はかつて誰しもが持っていた「こころ」というものを失ったようだった。「こころ」というものだけはなぜゆえか覚えていた。そのおかげで私は四六時中「こころ」なるものについて、あるいはそれに連なる世界について、考えないわけには行かなくなっていた。もう一人の生き残りであるばあさんは「貴方にも私にもそれは備わっている」と言ってくれたが、やはり分からなかった。同じように鬼に追い詰められたばあさんにもやはり心はないのではと、そういう疑念を払拭出来なかったからだ。そうしてばあさんは提案したのだ。「新しい人間が生まれれば、心があることが分かるだろう」と。

 

 

 

 今日、ばあさんが死んでいた。昨日かもしれないが、私には分からない。寝床に横たわる遺体の傍らには桃太郎と、もう一人赤ん坊がいた。ばあさんが死の間際に作ってくれたのかもしれない。死に極めて近い人間は命の根源との距離が小さくなると言っていたことがあった。もう一人の子は女性のようであり、ばあさんの生まれ変わりなどといった空想が頭をよぎった。墓を作り、体温の残る遺体を埋め、意味があるかも分からない祈りを捧げ、その日から私は二人を育てることに生活を割いた。

 苦労はしなかった。ばあさんは老い先の短い私のことを考えたのか、赤ん坊たちは異常な速度で成長を遂げ子までをもうけた。どんどん世代を重ね、小さな村が出来ていった。彼らはよく笑い、よく泣き、よく怒り、私を含め衣食住に気を配り互いを大切にした。猿や犬や雉たち森の動物も彼らを信頼し、協力関係を築いていったようだった。それを見てもやはり私には「こころ」というものが理解出来なかったのだが。

 彼らはやがて鬼の存在に気付いた。私が鬼の話をすると、彼らは大きな動作を伴って怒り、悲しみの涙を流したようだった。そして鬼を絶対に殺すべきだという緊迫した空気が村中に広がった。正直全然、ついていけなかった。意味が分からなかったからだ。尋常じゃない速度感で武器の生産や戦闘訓練が行われていった。森の動物たちの情報網から近場にある鬼の集落が把握され、酒の祭りがあることが分かり、その日を狙って見つかりにくい場所から攻撃を仕掛ける奇襲作戦が立てられていった。そして彼らは私にも戦いの同行を頼んだ。「僕たちを作ってくれた貴方に鬼に打ち勝つ勇姿を見て欲しいんです」。私は彼らが「こころ」を持っているか、その観察がしたかったので同意した。

 木々の茂る隠れやすい場所に集団を張り付かせ、夕日の沈みかかる暗い空の下で、鬼たちが酒を飲みながら話を弾ませているところを襲撃した。奇襲は成功し、あちらも攻撃体制を取り、鬼の集落は混沌を極める有り様になっていった。

 そこで私が見てとったのは非常に奇妙な光景だった。桃太郎たちは鬼を殺して喜び、仲間が死ぬと怒りと涙を顕にした。そしてそれは、鬼たちもまるで変わらなかった。変わるのは見た目による微妙な違いに過ぎなかった。笑いの端にあるのは巨大な牙であり、流れる涙は赤や青の肌を伝って零れていった。私にとっては、これはにんげんと鬼の戦いであり、私に「こころ」をりかいさせるかもしれない者と私のこころをうばったもののたたかいであると思っていた。いまは、おにも人もそう変わらないきがした。むらのおには皆死んだ。ぼくはいぜんとしてなにも分からなかった。なにもかんじなかった。なにもなかったとおもった。

 

 

 

 

 

 おにとももたろうのたたかいはとんでもないことなっていていきたくないむらのひとたちはめとはなとくちがなくてことばがよくわからないちかづいてくるのいやでしかいがよくにじんだしそれがいやだしきがへんなかたちにまがったりおにでもひとでもないこわいのがぼくやひとをみてたたいようがまぶしくてそとにでられなくてくるしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最近、記憶がない日が多い。体調も優れなかった。しばらく家からも出ていないし、人間ともあまり会っていない。鬼とにんげんの観察をしに行くことも出来やしない。おそらく老かがすすんでいるのだろう。ばあさんがこんなことをいっていたことがある。「心は例え死のうが決して消えるものではないし、それはただ抑圧されてるだけであって目の前にあるのだから。目の前にあるのに無い無いなんて探すのは狂人の所業だよ、仕方がないので正常になる手伝いをしてあげる」

 私がきょうじんで、鬼と人間がせいじょうだから、わたしだけにこころが分からないのだろうか?それとも彼らとわたしのこころが違うのだろうか?分からない。もう先のないわたしにこのような問い掛けにさほど意味があるとは考えにくい。

 それよりも、それよりも心が決して消えないものであるのなら、私のような存在に出来ることがあるのではないだろうか。いつか人間でも鬼でもないと感じる者が生まれたならば、その存在は私の中に心を見出だせるかもしれない。あるいはまたその存在が心を失っていれば、私のことがなにか己の手がかりになるかもしれない。

 今、私はそのための手記を書いている。書けない日も多いから、書ける時に書かなければならない。家の外で大きな音が鳴った。鬼が村に攻め込んできたのだろう。彼らの戦いは今のところ拮抗している。が、そんなことは私には関係がなかった。強いていうならば静かにしてもらいたいと思った。今私が書いているものが、私にとってか誰かにとってか分からないが、宝物になるかもしれないから。

 

 

 

 

 

 

 

MBTI界隈に44の質問(世界観を問う44問)回答者・自認INTP

 

 

問1.<科学>

科学に何を期待しますか?あるいは、何も期待しませんか?科学によって人類が発展したり謎が解明されることを望みますか?もしくは、科学の進歩が人類に不幸をもたらすだろうと考えますか?

 

科学とは人類が研鑽してきた体系のひとつだと考えている。

僕の科学に対する期待としては謎が解き明かされることで人間の、この世界に対する理解が一層深まることが大きい。その理解は更なる謎に挑んでいく土台になると思う。それ自体が僕の幸福でもある。

幸不幸に関しては、科学はあくまで道具として利用するものであって、道具に振り回されるような使い方をすれば不幸に陥る可能性が十分にある。例えば包丁なら料理を作り出す力があるが、人を刺殺することも出来る。インターネットや核兵器を見れば分かるように、科学という道具は進歩するにつれその影響力が増大していくようだ。一層注意深く扱う姿勢が大切だろう。

 

問2.<年齢>

何かを始める時、何かをやめる時、人と人が友愛を築く時、同盟を結ぶ時、人が人に指示をする時、人が人を師と仰ぐ時、人が人を蔑む時に、年齢はどれほど関係すると考えますか?あるいは、関係しないと考えますか?

 

関係あるものとないものがある。

スポーツのようなもので大会などの結果を出したいなら若い頃からやっている必要がある。そうではなく趣味としてやるなら問題ないだろう。

絵を描いたり勉強をするのは歳を取った後も出来る場合が多い。むしろそういうものは年を経てからの方が味が出てくることも多いのではないか。

年齢による影響は社会に生きていればイヤでも体験すると思う。社会に関係しない個人間の友愛においてもなんらかの影響があることは体験している。

影響の大きさについては時と場合で千差万別であって一口に言えるものではない。

 

問3.<故郷・出自>

生まれ故郷を捨て去ることにためらいはありますか?愛国心や地元愛といった感覚は持っているでしょうか。また、その人の出自(○○生まれ、××育ちなど)を何かの判断材料にすることはありますか?

 

生まれ故郷は既に捨てていて結果的にためらいはなかった。それでも思い出として地元を懐かしむことはあるのでちょっとの愛はあるといえるのか。そもそも人間の地元は地球ではないのか?

愛国心は皆無に近い。

 

出自を気にすることはあまりないが、関西人っぽいなとか都会人っぽいなみたいな、そういう空気感や言動はあると思う。

 

問4

統計やテストの点数、知能検査のスコアなど、数値による評価は信頼足り得るものだと思いますか?また、そういった数的感覚には長けている方ですか?

 

参考材料にはする。嘘や誤謬が混じっているかもしれないので鵜呑みにすることはない。感覚的に長けてるというのは意味を図りかねるが、評価値の利用者として、という意味であれば実際に感じたことと符合が取れていれば納得出来るという感じだ。例えばコメント投稿が多くサクラがいない口コミであれば評判通りの店であることが多く、信用しやすい。なんだか分からないが、分かってない時点で長けてるとは言えないかもしれない。

 

問5

今後食べるに困らないだけの大金を手に入れた場合、それを元手に何か挑戦しようと思いますか?それとも悠々自適に余生を過ごしますか?また、投資や株などのマネーゲームに関心はありますか?

 

十中八九悠々自適に過ごす。基本的に読書や創作をして暮らしたいが、経験を目的になんらかの仕事はするかもしれない。

楽になるために株に手を出したことがある。その結果についてはノーコメントで。別に失敗なんてしていないが。

 

問6.<目が醒めているとき>

目が醒めているとき、意識は常にハッキリしていますか?「気が付いたら○○していた」とか「何をしようとしたか忘れた」ということはありますか?或いは、白昼夢を見たりしますか?

 

関心を持つものには意識がハッキリとし、そうでないものには不注意と無意識のオンパレード。

白昼夢らしきものも時々見る。

 

問7.<四季>

季節の移り変わりに楽しみや美しさや情緒を感じたりしますか?

 

人並みに感じると思う。春の緑と桜が特に好き。秋から冬にかけての透き通るような青空は一日見ていられる。

 

問8.<殺意>

到底自分が納得できるものではない理不尽な理由で、ある人物から侵襲的な行為を受けた時、その人物を殺したらいいと考えたりしますか?

 

滅多にないがストレスが閾値を越えた時はあり得る。基本的には現実的に対処する。

 

問9.<縁起や神事>

良い意味でも悪い意味でも信じているジンクスはありますか?また、先行きが見えない展開になったとき、願掛けや神頼み、占いをしたりしますか?

 

僕はやらないが、他人がやる時はその人なりの意義があるのだと思う。なのでどちらかというと信じているといえる。なにかきっかけがあれば今後そういうジンクスを取り入れるのかもしれない。

 

問10.<趣味>

活力が湧くほどの趣味を持っていますか?持っていないとしたら、欲しいと思いますか?或いは、無趣味でも問題ないと思いますか?

 

哲学書や小説を読んだり、絵を描いたりしている。無趣味の場合は、問題があるというよりは生活や習慣がガラリと変わるので全く別の人間になっていくと思う。

 

問11.<嘘>

自覚的に嘘をつくことはありますか?あるとしたらそれはどのような理由、どのような状況で嘘をつきますか?

 

長期的に見た上で、嘘をついた方が良いと判断した時に嘘をつく。あとは冗談や、相手を傷つけないための嘘はつきがちかもしれない。

 

問12.<謙虚であること>

あなたは謙虚ですか?謙虚であることは必要でしょうか?

 

性格的にあまり謙虚ではないと思うが、尊敬しているものに対しては謙虚と言える。そしてなによりも新しいなにかを見せてくれるかもしれない本や出来事や人物に対しては、特にそういう傾向が現れる。それらから見出だせるものを欠片も溢したくはないし、そうするためには一切の自我を抑えて接する必要がある。

必要かについては、謙虚でないけど成功している人というのもいるし、傲慢な振るまいから気づくことがあるので必ずしも全員が謙虚であることが必要とは言えない。同時に全員が傲慢に振る舞うことも不自然なことだと思う。どんな態度を取るかははその人の個性によるものだと考えている。

 

問13.<ファッション>

寒さをしのいだり、局部を隠したり、社会的な記号(制服)としての役割以上の意味がファッションにはあると思いますか?違う表現で言えば、装飾を施したファッションをしますか?平たく言えば、お洒落をしますか?するとすればそれは何故ですか?

 

意味はある。服装は他人に与える印象を大きく変える。もちろん意に介さない人もいる。

僕自身は大して整えていないが、気が向けばやるかもしれない。

 

問14.<性愛>

恋愛対象としている性を崇めたりしますか?また、その性から何らかの施しを受けることによって、自分が抱えている問題が解決することを期待していたりしますか?

 

恋愛感情を持ったことがないのでなんともいえない。特に崇拝や施しの期待はしていないと思う。

 

問15.<意見形成>

例えば「宇宙人は存在するか?」というテーマのディベートにおいて、たとえあなたが強く宇宙人の存在を信じる立場であったとしても、存在しない立場に立って意見を形成することはできますか?

 

出来る。そういった多角的な視点が持てなければディベートでなにかを得ることは難しいと思う。

 

問16.<サバイバル>

公的機関の援助を受けたり貨幣でアウトソーシングするのではなしに、自力で生存を獲得する術を持っていますか?狩りをしたり野菜を育てたり、安寧の宿を確保することなど。野生の世界で生きていく自信はありますか?

 

ムリ

 

問17.<夢(睡眠時)>

眠っているときに見る夢に何か特別なメッセージがあると思いますか?

 

メッセージというよりは、夢の中で見たものをきっかけに行動を変えたことはある。時にはひとつの判断材料になるのかもしれない。

 

問18.<暴力・猟奇的な表現>

殴る蹴るなどの暴力や拷問、出産や流血、内臓が露わになるなどのシーンを観ることで気分が悪くなったりしますか?或いは逆に興味があったり、興奮を覚える方ですか?

 

そういうシーンは好んで見る。興奮というよりは、物珍しいというか面白いというか。中世においては死刑見物が娯楽だと言われていたので同じ心理だと思う。

 

問19.<歴史改変>

現在、或いは未来のために、過去に起こった出来事をなかったことにしたり、修正を加えるのは許されることだと思いますか?

 

興味がない。やりたければ好きにやれば良い。

 

問20.<個人と集団>

個人プレイとチームプレイ、自分がより輝くのはどちらの方ですか?また、全体論における「ある系全体はそれの部分の算術的総和以上のものである」という考えには首肯しますか?

 

僕の場合、人生そのものの大部分が個人プレーな気がする。チームプレーで輝くことはない。

後半、なにを言っているのかちょっと分からないが1+1は2以上の結果を生むという話であればありうると思う。厳密に言えばそれは観測者が勝手に1が2つあるだけなのだと認識しているだけであることが多い気がする。見えていなかった要素がそういう現象を発生させる。

 

問21.<食事>

食事に生命活動の維持以上の意味を見出していますか?例えば、それを一つ飲むだけで空腹も栄養も満たせる完全栄養食のカプセルが発明された場合、今後の人生はそれを飲み続けるだけでいいと考えますか?

 

食事を共にした思い出があったり、食物を生成・調理した過程には人間の枠を越えたドラマがあると思っており、個人的にはそういった技術による利便性は好きではない。もちろんそういったものが開発される過程においても込められたなにかがあると思うが、カプセルだけの生活は少々バリエーションに欠けるな。

 

問22.<他人に期待すること>

他人に期待はした方がいいと思いますか?それともしない方がいいと思いますか?

 

期待がないと他人に関わることが不可能になると思うが、過度に期待しすぎると、期待と現実との落差で心が乱れやすくなると思う。

 

問23.<教育1>

スパルタ方式は実を結ぶ教育だと思いますか?

 

個人で見ると効果がある人間とない人間があると思う。社会規模でやり出したら良い悪いの話ではなく今とは全く別の社会になると思う。

 

問24.<教育2>

飛びぬけた学力や才能を持った生徒がいた場合、学校側はその生徒に特別な措置を取るべきでしょうか?それとも足並みを揃えるのが大事と一律的な教育を受けさせるべきでしょうか?

 

学校にそんな措置は期待していない。

 

問25.<婚約>

人生におけるイベントとして、結婚はごく当たり前のことだと受け入れていますか?また、結婚における一夫一婦制は番いの形として理想的でしょうか?

 

僕はまず結婚する確率が低いと思う。一夫一婦制は元々社会を円滑に回すために作られたはずなので社会的には理想といえる。個人間の夫婦の在り方なんて自由だと思う。人間と結婚する必要もないしな。概念との婚約なら、アリだな。

 

問26.<知識と認知>

知識によって世界の捉え方は変わると思いますか?例えば植物や魚の名前、歴史的経緯、その作品が生まれるまでのバックボーン、作者の経歴など。

 

変わる。そういったさまざまな認識の獲得が生きている理由のひとつだと思う。本当に多くのことが見えてくるものだ。

 

問27.<学習>

自分が正しいと信じていた手法が通用しないと悟ったとき、柔軟に考えを変えることができますか?それとも訂正せず愚直に進むことの方が多いですか?

 

そもそも自分の手段を正しいと信じることがあまりなく、手法の変更は常に視野に入れていることだと思う。自分としては的確な手段を模索していても周囲からは優柔不断に見られることがある。

 

既にヨーヨー氏はこの質問を読んでしまい、もう目を通さないかもしれないが、一応追記しておくとこの質問は自分の手段を正しいと信じることが前提条件になっており、自分の手段をあまり信じていない自分には回答する術がない。さしあたってはほぼ無意識的に出力した上記の回答は、ヨーヨー氏を含む他者がなんらかの解釈を与えるものとして残しておく。

 

問28.<革命>

世の中に革命を起こしたいと思いますか?或いは、誰かが革命を起こすことを期待していますか?それとも、今の世の中には満足していますか?

 

革命をしたいとは思わないし、大抵の革命というものは構造自体に変化を与えることが出来ず、革命者が革命以前の状況を再び作り出すことがままあるように感じる。

そういった個人の動向というよりは、世界という巨大な生き物が作り出す、全体のうねりのようなもので世の中が変わっていくように感じている。

 

問29.<快楽>

酒池肉林とも言うべき快楽の海に溺れたいと思うことはありますか?快楽とどう折り合いをつけていますか?

(本来、酒池肉林に肉欲の意味は含まれていないようですが、ここでは含めています)

 

何度かそういう体験をしたので既に興味がない。今の自分にとって快楽とは自動的な動作のようなものだと思う。その動作によって新しい知見が得られることもあり、なんというか自由にさせているし、やるべきことがある時には抑える。

 

問30.<読書>

読書に何を求めていますか?本を読んで得られるものとはなんでしょうか?また、本を読むことと実際に体験することとではどちらにリソースを割きますか?

 

様々な知見の獲得を求めている。知らないことを知ることを求めている。

読書も現実体験も両方必要なものだと思う。以前は読書に比重が傾いていたこともあったが、今は現実を見ることの重要さも心得ている。

 

問31.<誰も知らないわたし>

寂しさであっても承認欲や自己顕示欲であっても、もっと私を見てほしい、という気持ちはありますか?

 

ほとんどない。なにか話題になることがある時に人に話したいと思う時はあり、そこには承認欲求が多少含まれていると思う。

 

問32.<機械>

機械や兵器、ロボットにロマンを感じますか?機械の扱いは得意でしょうか?また、自分のことを機械の様な人間だと思ったりしますか?例えば、人間の応答より機械の電磁的なシグナルの方が信頼できると考えたりしますか?

 

ロマンは感じる。機械の扱いは得意ではないし、自分が機械のような人間とは思わない。

人間と機械のどちらが信用出来るかは時と場合による。

 

問33.<意味・解釈>

一意に定められ、解釈の余地が生まれない表現は好きですか?もしくは、「どう受け取るかは鑑賞者の自由」と受け手側の想像力に委ねたり、起承転結がないような、意味を空中に放棄したような荒唐無稽な表現の方が好きですか?

 

受け手の価値観によって答えが変わる上で、その価値観の違いによって得られる答えが意識して用意されているようなものが好き。その上で更なる別の解釈が生まれうるような仕掛けを作って作者にも思い付かなかったことが受け手側の想像力によって生まれるような構造になっていれば、言うことがない。

 

問34.<グローバリズム>
地球というスケールで物事を考えたりすることはありますか?

 

かなり考える。なんなら宇宙規模で考える。

 

問35.<命の平等さ>

イヌの死骸とヘビの死骸とサカナの死骸とゴキブリの死骸とニワトリの死骸とヒトの死骸にあなたは区別をつけますか?

 

つける。もし犬を飼っていれば、人の価値をその犬が越えることもあると思う。

 

問36.<相性>

MBTIの様な人間を類型するツールが、例えばマッチングアプリにおいて相性のいい相手を効率よく探すために使われることに対しては肯定的ですか?否定的ですか?また、MBTIのタイプとは無関係に、人間と人間の関係性に相性というものは存在すると思いますか?

 

MBTIに関してはそういった使い方はあまり意味を持たないと思う。人間同士の相性はある。

 

問37.<人間で非ざるもの・ヒューマニズム>

あなたは人間のフリをしていることがありますか?

 

生来の気質を隠した社会的な擬態を指しているのであれば、やりまくっている。僕の本心と擬態は振る舞いも性格もかなり違う。

 

問38.<勝負>

勝負の際は貪欲に勝利を欲する方ですか?そうではなく、自ら望んで敗北を選んだりしますか?また、勝つか負けるか分からない勝負に挑むことはできますか?また、戦う相手は自分と自分以外のどちらの方が多いですか?

 

質問に意味が感じられない。敵は基本的に自分だと思う。

 

問39.<政治>

投票には行っていますか?行っていませんか?それぞれの理由は何でしょうか。また、行くべきだと思いますか?行かなくてもよいと思いますか?

 

行っていない。あまり興味がない。

 

問40.<死>

死ぬこと以上に恐れているものはありますか?また、観念的な死に囚われたりしますか?

 

恐れていない。むしろ死後がどのようなものであるか、興味がある。死にたいわけではなく生きてやりたいことは沢山あるけど。どちらかというと注射の方がストレスだ。怖いとは一言も言っていないが。

 

問41.<倫理>

人にやってはいけないことなどないと思いますか?

 

時と場合による。戦争中なら殺人も正義に変わる。今の状況に即してという意味ならば、お酒の飲み過ぎだってやっちゃいけない。だって質問に答えられなくなるだろ?

 

問42.<繁殖・遺伝子の継承>

仮にあなたの代であなたの家系が途絶えることになったとき、そのことに後ろめたさはありますか?

 

全くない。

 

問43.<運命・越えられない壁>

運命に対して前向きですか?後ろ向きですか?それとも、運命などないと考えますか?越えられない壁などありませんか?

 

運命があってもなくても僕のやることは変わらないと思う。

 

問44.<正解>

普遍的なただ一つだけの正解を求めていますか?それとも、そうではありませんか?

 

とても求めている。

 

 

後書き的ななにか。質問の意図を一意に絞ることが出来なかったり真摯に答えようとすればとんでもない長文を要求する質問がみられたりしたので、思慮の結果この設問においては論理的に答えることよりも直感的に答える方針を選択した。それゆえにそれぞれの回答の間で矛盾が生じているように見えるところも見られるが、それは言語的に矛盾しているように見えるだけであって、内実はそれぞれが僕の性質の別の一面を表しているものだと解釈するのが妥当だと思う。答えていて楽しかったですし改めて自分について考え直すきっかけになりました。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

無銘

 夜の中を歩き続けていた。家々から明かりがぽつぽつ消え始めた。息絶えるみたいに。だが、それはただの眠りだった。廻る日々に、忠誠を誓う眠り。家が眠り、人が眠り、日が巡ると太陽に起こされるから人が目覚め、家は依然として眠っていて、日が落ちた時に初めて、その明るく光る眼を開けている。人が再び床に就くまで限りのその僅かな目覚めの中で、夜の一点を照らし誰かを見守っている。
 僕の家は、誰も見守らない。電気代が払えなかったから。ねっとりと暑い。冷房も扇風機も眠り続けるから。暗く狭いこの部屋では誰もが目覚めず昏睡している。循環の無い、永い眠りが主になっている。

 そんな昏い静寂の中から、突然着信音が生まれたのだから中古のスマホを手に取ると、「受賞したお気持ちは」、という異物じみた男の声が聴こえてきて意味が分からず「受賞?」と立ち上がって聞き返したら「文学賞に受賞しましたから」などという返事で結局意味が分かることはない。なんだが昆虫みたいな声だ、と思う。「覚えがないですね」と歩きながら言ったら「素晴らしい物語でした」と言われる。「物語が僕の役に立ったことは、一度もないですよ」と返事をしたからそこで通話を切ろうとしたら画面は既に部屋の全てと混ざった黒になっている。もう声も聴こえてこない。幻覚だな、と思い、僕の声が昆虫に聴かれていないことに安堵し、安堵してから自分の緊張していたことに気が付いて喉がなにかに絡まりそうで、キッチンに行こうとしたら既にキッチンの前に立っていることに気付き、手探りで蛇口を捻る、暗闇で目に見えない音を流す水の柱を、横から貪欲に喰らいつくように飲み、勢いづいた水流でブチブチと無理矢理にちぎれていった絡まっていたものを呑み込み、顎の滴りを二の腕の袖で拭い、右手に持ったままだったスマホ、闇の一部になったそれを切り捨てるように、部屋の隅に向けて放り投げ外に出た。
 それで僕は歩いている。ずっと歩いている。果ては無い。目的が無いから。淡々と減っていく寿命と、ついでに孤独と空腹とを抱えて、逃げられないものから逃げる旅だと名付けるだけ名付けてみてもなにもしっくりと来ない。しっくりと来ないまま歩き続けている。僕が来たからそうしたのだと言いたげに、目の前でまたひとつ、家が眼を閉じる。黒い天蓋に張り付く月は見当たらない。ただ小さな星が力なく光るだけだ。アスファルトは点々と電灯に照らされて、闇の底から浮き上がる輝かしい白を見せている。
 いつの間にか通りに出ていた。ときたま車の音が耳に付く。空気が湿っていて、絶えず生まれる汗は背中に張り付くと決めたみたいで僕から体温を奪うから、暑さと冷たさとが身体の内部で交わり始めていた。無数に散らばる電灯から発する、黒を穿とうとしている鋭利な橙色の光が地上を覆っている。その光があまりにも広すぎるから、黄昏がここへ落ちてきたのか、落ちて夜と戦争をしているのかと怖くなり、光の粒子と夜の粒子が動的に流動し喰らいあっているのが見え始めて僕は足を早めた。この戦場から、一刻も早く立ち去らなければならないから。この寿命と空腹とを持ち出して逃げなければならないから。
 やがて前方に、コンビニエンスストアを見つけた。光を放っている。穏やかな光を。僕はコンビニエンスストアに入った。涼しさが熱を払い、単純な冷たさに悦びを感じ、店内を二週も回り、三週目にいってしまいそうなことに気が付いてレジの奥にいる店員を呼ぶ。気の弱そうな店員が近づいてきた時にはなにも商品を持っていないことに気付き、横のケースを見ると揚げ物はなにもない。僕はフライドチキンを揚げるよう頼む。怯えるような声で二十分はかかると言われ、お願いしますと返事をして、じっとしてはいられないのでまた店内を周り、入り口付近の雑誌をみると頭痛に苛まれ、その向かい側に並んだワインを注視する。黄金色に満ちるラベルのものを手に取る。ワインを飲んだことは一度もない。今後も飲めそうにない。

 先ほどの電話を思い出す。金が無い以上、やはり受賞などしていない。
 ワインを飲めるほど豊かになれば、なにか変わるのだろうか。飲み込まれそうな錯覚を覚えるほどに黄金を見詰め続けて、限界まで入り込もうとし続けて、たぶん、なにも変わらないだろう、という結論を出した。表面は変わるかもしれない。が、奥底にはなんの波紋も及ばない。きっといつか、煌びやかなめっきも無慈悲に引きずり込まれ、消滅し、そう在るに相応しい様相を取り戻すだろう。

 僕はなお黄金から目を逸らさなかったのだが、やがて揚げ物が出され、運良くポケットに入っていた小銭だけが入った財布で支払いをした。百八十円だ。気の弱そうな店員は予想に反して、丁寧に手際良くチキンを白い袋に包装しお釣りを出した。声だけが印象通り、戦きながら空気の隙間を縫って僕の耳を触り、チキンを渡された僕は礼を言った。そうして彼は深く丁寧に頭を下げた。
 外に出てすぐの灰色を帯びる車輪止めに腰を下ろした。相変わらず光が優しかったから、少しうとうとした。母の子宮を連想した。僕が刺した柔らかい母の肚を。
 白い袋を破き、見事な狐色が目前に現れた。あまりにも見事だったからじっと眺めた。隠れるように小さく付いている黒の点々に視線を感じた。僕の視線と点の視線が交差する。重複する。不可視だが鮮やかな奥行きが重なり合い層を成すように感じ始める。呼応するように狐色が段々生き物のようにうねり始めて、厳密な形を持った蛋白質から輪郭の曖昧な揺らぎへと移り変わって空気中を揺蕩い、僕の顔に向かってアメーバ状に伸びていく。視界が狐色に覆われて現実が秘匿され、その単色の色彩は由来の分からない美しさを重ねて塗って重さを増して、それだけが僕の全てになりつつあるようで、冷たくて暑かった身体が安らぎを伴う温かさに屈服し、自分が誰で、ここがどこで、どこから来てどこへ行くのか分からなくなり、なんだが気持ち良くなり、ずっとこのままでいたいと思った時には視界が開けて道路の真ん中に立っていた。手元にはからっぽの白い袋だけが残り、百八十円はどこにいったのかと心臓が早鐘を打ち、袋の中をがさごそ探ってみるもただ手がべたべた汚くなるだけでなにも無い。車のクラクションが響く。なにも分からないまま歩道へとふらつきつつ走る。なぜフライドチキンなんて買ったんだろう、と僕は愕然とする。食パン(八十四円七切れ入り)と米(二千四百八十円十キロ)と卵(百九十二円十個入り)以外の食べ物を買う余裕などないはずなのに。頭に線のようなものが走ったけれど、それは脳を残酷に貫くような代物なのだけど。でも、まずはどうでもいい、ということにした。思考を止めた。目の前の、ぼやけるような仄暗い道を見据えた。それ以外の全てを忘れられるように。そっちの方が、きっと自分には生きやすい。
 また、歩き始めた。ずっとずっと、歩き続けるだろう。だからずっとずっと、歩き続けていた。一度だけ女性とすれ違った。黒い道から浮き上がるように現れ、電灯の白い光を反射する、高そうななにかひらひらした模様のある綺麗な服を着て、俯いている。すれ違っただけだった。彼女にも僕にも特になんの変化もない。これは当たり前のことだ、と僕は思った。こういうものなのだから。僕は歩き続けた。なにも変わることなく。停滞した世界を壊そうと試行錯誤しているのか、現実も幻覚も様々な形を抱きながら脳内に飛来したが、少しずつそういうものは少なくなっていった。段々と、諦念を抱いたように、世界が賢く僕を捨てたように。代わりに線が増えていく。外の世界と脳内とを跨がって真っ直ぐに刺す細い線だ。少し包丁に似ていると思う。最初は辛かったけれど、線が連なり幅が太くなるにつれ意識とか、そういうなにかが薄まっていくからかえって辛くも無くなっていく。僕を母体とし増えていく線は首を刺し、肢体に及び、僕は人間というよりも線に近くなった心地で、生まれてからずっと僕の周囲を覆い続けていたような透明な壁が急速に縮むような気がし、壁はほとんど僕に密着する形になりやがて僕の表皮を越えていきそうで、そのせいなのか身体を焼くように鋭利な痛みなのか何なのか分からないひりつきと喉の渇きとが入り込み、それが全身を回り無限に思えるほど循環していく果てに、ゆっくりと溶けて薄まり、消え果て、頭の中が、なにか空っぽになり、足の疲労だけが最後まで意識として在り続ける。やがてはそれもどこかへと去っていってしまった。からっぽになるのが、上手くなっていく。からっぽに馴染む僕は歩き続ける。途中、なにかが足に当たって転がり、それが僕の意識を多少起こして足の痛みと線の刺す苦痛を悶えながら思い出し、視界を覆い始めた線と線の隙間からその正体を覗いてみると、子供が使うようなクレヨンが転がっていて、僕はどこから出てきたのかよく分からない乾いた笑い声を発して、線を掻き分け、それを人差し指と中指でつまみ上げた。

 

 扉を開けるとそこには祖母がおり、視界の景色は祖母の家で、壁に森の風景画が掛けられて床にはどこか朧げで多彩な模様がある、朧げなまま永く在り続ける重さと温もりを持った絨毯が敷かれ、日溜まりに満ちる揺り椅子に座っているのは間違いなく白骨であるのに、生前のままの白髪がふくよかに不自然に靡いている。生きてはいない祖母。天国に着いた祖母。なので祖母がここにいるはずは無く、僕が天国に行く道理は無く、不可思議が脳内を覆い、それを取り払うように、いつの間にか横に立っていた祖母が僕の手を握ってくれる。線のことを思いだし、祖母に刺さらないかと焦ったがいつの間にか線は消えていた。初めて祖母の家に来た時も、手を握っていたな、と思い、骨であっても確固たる温もりを感じた気がし、その時と同じ、導くように、僕の手を引き歩き始めた。
 扉を開けるとそこには八歳の時の記憶と同じように、畳の部屋の机の上で首を吊った父がいて、皺の無いスーツを着ており、記憶では醜く歪んでいるその形相は祖母同様に白骨と化し、なにか思い巡らすようにぷらぷら揺れている。その横を通ると十歳の時、僕に包丁で殺された母が横たわっていて、なぜ母と分かるのかといえばやはり髪が残っているからで、肋骨の隙間に刺さった包丁が紅色にきらきら光っている。生きている時より綺麗だ、と思った。真っ白な骨が忘れられなくなりそうだ。
 彼らを通り過ぎてなお祖母は歩き続けた。少年院から出た僕を引き取った祖母は、僕が働きだしてしばらくした頃、永い眠りに就いた。死んだ、という様相ではなかった。生きてはいない、という言葉は正しい。その顔は、その身体は、その臓器は、もう動かないから。命が癒着していないから。だが決して死、などという余計なものは、付与されてはいなかった。天国に行くとはこういうことなのかと、隣を歩く祖母に聞いてみたかったのだが、祖母は姿を消し、聖書だけが残っていた。二千年語り継がれた原初の物語。僕は僕の部屋にいた。
 でも、僕の部屋に聖書があるはずはなく、幻覚だな、とその時気づいた。僕の隣には誰も立たないことをしばらく忘却出来る良い夢を見たのだ。カーテンの無い窓から見える帳は徐々に黒から紅へと変色していき、黄昏の空に似たその色合いに僕は恐怖を覚え、僅かに色彩を取り戻し始めた布団に潜る。

 微睡みを払おうとするスマホの着信音が聞こえる。ぼんやりとした意識で無理に身体を動かし、どこにあるのかと、床に散らばった奇妙な芋虫みたいな黒い染みのついた大量の紙をクシャクシャ踏み潰しながら探すと、隅の方に音源を見出だした。なぜこんなところにあるのだろうと不審がりながらも手に取って通話ボタンを押すと「締め切りが近いですよ。執筆の具合はどうですか」という男の声がしてまた幻覚を見ているなと思い呆れてふふっと、思わず笑ってしまい、通話を切ってスマホを放り投げた。明るい昼間だというのに幽霊のようななりを見せるごみ袋が溜まるキッチンに行き蛇口を捻ると水が出ない。ついに水道も止まったらしい。腐った肉片のようにぼどぼど流れ落ちていたものは銀色の曲線の内部で硬直したような趣で、なにかとうとう死体の家になったのだなと思う。家賃は何ヵ月滞納していただろう? 仕事をしなければならない。出来るかどうかは不安だが、逃げ道はないのだから。誤魔化すことも幻想も、ほんとうは邪魔なのに違いないから。雲の一欠片もない、空が酷く蒼い。カテーンもないからよく見える。なにかに似た色だと思い、なにかとは恐らく祈りのようなものだと思う。どうにもならなくなった人間に覆い被さる最後の夢なのだと、そう思う。僕は空を見詰め続けていた。飛べたら良いな、と思う。パイロットは難しいから、せめて飛行機の部品を作る工場くらい、派遣の仕事か何かでないのだろうか。
 冷蔵庫を開けると、薄暗い内部に一切れの食パンが残っていた。取り出すと、乾いた白の中の一点が、多少黒ずんでいる。小さな眼のようで、もしこの眼が僕を見据えていたら、その視界は眼本体とは比較にならないほど広大に、世界を喰らい、そうして視界として吐き出している。でも多分、ただのカビなのだろう。僕の眼がただの神経なのと同じように。ただの神経の球体が、現実も幻覚も包括し、繋がれた脳が祈りを捧げている。
 再び着信音が鳴り始めた。僕は食パンに齧り付いた。不思議なほど美味かった。気分が良くなったので、机の上に転がっていた一本の煙草を咥えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

染み

 森林浴。つまり僕。の、住んでいる家では夜、エアコンの音だけが響いている。僕とエアコンと、それとパキラちゃんの三人、と、思っていたのに、眠りに落ちると夢の中で、その夢の中で本当に独りだ。そこでも結局布団の中なのだから、夢の中で眠りについてまたそこで夢を見たりする。だからこの夢の中で見る、たまに見る夢の話をしよう。話をしたところで、なにかが変わるわけではないのだけど。

 夢の中の夢の中では僕は「染み」になっている。暗闇の中で仄かに光る青い染みだ。何処に染みているのか……なんの染みなのか……分からないけど、でも僕は「染み」で、あどけなく青く光ってる。「染み」は広がる。と、いうよりは、沈んでいく。少しずつ、ゆっくりと、確実に。ズブズブという音が、良く似合うほど。染み込んでいくんだ。昆虫みたいに、なんの感情もなく、それが自然で、ありのままで。

 下へ……下へ……沈んでいくのは気持ちが良い。ずっと沈んでいたいとも思う(嘘つき。ずっとなんて、それじゃ夢の中の夢からも覚められないだろ。困るだろう?)、……なんにせよ、そうはいかずに何処かに留まる。でも、「染み」は留まろうとしない。「染み」は広がる。でも、広がるにも限界がある。ずいぶん広い空間に行き着いたみたいだ。仕方がないから「染み」はそこら中を動きまわる。そうすると細い隙間を見つけて(隙間の場所は毎回違う(多分)(場所を覚えていないだけかも)(毎回忘れるなら常に新鮮味があって良いよね))、そこに入り込んでみるんだ。

 なにもない時も多い。そこで夢から目覚めたりもする(もう一回目覚めないと現実には戻れないのだけど)。なにもなくない時は? 少女がいる。少女と言っても姿はない。声だけがあって、それが少女のそれなんだ。ハスキーボイスと書けば伝わるか分からない。

 雑談に終始することもあるけど、たまに手伝いをすることがある。そんな時には、一例としてはひび割れた玉があったりして、そのひびに入り込むことを要求されたりする。なるほどこれは、「染み」にしか出来ない、と唸るような要求だ。「このひびに入り込むとなんかあんの?」と聞くと「ニュースをみたら分かるよ」と言われるのだが、そんなものを見る習慣がないしわざわざ見るのも面倒くさくて僕にはなにも分からない。大体が夢の中の出来事なのだから本気にはならない。

 大体が、そうそんなものだ。でも、帰る時(起きる時)が一番めんどうだったりする。もう帰るのか、私は話したいって、口には出さずとも態度に出てるから(姿がないのに態度とはこれいかに。まあ気配、か)。いつ会えなくなるかも分からない相手に、そこまで執着するのはあまり良くないと思うけど、僕は僕でなにも口には出さない。

 今夜は会う気がしない。寂しがっているかもしれないが、他の人と会ったりしていることを願う。エアコンの音が響き続けている。でも僕の眠りはそんなもんじゃ妨げられはしない。どや。

 こんな話を最後まで読んでいるのは僕のマニアックなファンと物好きする人だけだろう。オチもなにもないが、暇潰しになっていたら嬉しい。寝ます。お休みなさい。