寄る辺

 夕の射すマンションの通路で隣室の老婆と鉢合わせをした。彼女はなにか黒い布で覆ったものを両手に抱えていて、僕に爬虫類じみた眼を向けていた。いつも小さなしわが無数に彫られた暗い顔をしていて、服は縒れ、比喩でなく異臭を放っていた。僕の目と鼻と感情は、彼女を偏屈で不潔な人間に値すると判断していた。会釈だけしてさっさと部屋に戻るつもりでいた。

「にゃあ」

 と、彼女とすれ違い様に聞こえた気がした。ちらりと振り返ると、彼女はそこに棒立ちになって、煮えたぎる形相で僕を睨み殺してた。殺されるようなことをした覚えもないので、躍動するはてなマークをよそに、僕は迅速に身を翻した。

 部屋に入り、仕事と不愉快な遭遇との疲れを癒すためにお湯を汲む。スマホをぽちぽち触ってお風呂待ちをしていると、インターホンがピンポン、ピンポンと主張した。

ドアを開けた。老婆がいた。閉めようかちょっと迷った。でも迷っているうちに老婆が手元の、あの黒い布をはだけた。そうして布の中からは小さく痩せ縮こまっていて、泥だらけの仔猫が現れた。

「こいつを、お宅の風呂に、入れさせな」挨拶もなく、僕を睨みながら、抑えた声色で彼女が言う。

「良いですよ」と僕。なぜ自分の部屋の風呂場を使わないのかが分からなかったし、あなた自身が風呂に入るべきだとも思ったが、殺されたくはなかったので了承した。

 老婆を部屋に上げて風呂場を示すと、老婆は猫をゆっくりと風呂に浸からせた。その手つきは優しく、さきほどの老婆とは別人だと思うほど篤かった。僕は風呂場を離れて、リビングでやはりスマホをぽちぽちしていた。

 しばらくして猫を足元にくっつけた老婆が、僕にタオルを一枚差し出した。またはてなマークが踊りだした。

「こいつの、ことは、誰にも、言うなよ」と老婆。

 そういえばこのマンションは動物を飼えなかった気がする。つまりこのタオルは口止め料、ということになるのだろうか。しかし、タオルは老婆と同じく臭いがあり、それにさきほど水洗いをしたばかりのように濡れていて、使う気にはなれなかった。しかしいずれにせよ大家にチクるようなことをする気もなかったので、僕は頷いた。

それから老婆は度々、布で隠された猫を肌見放さず持ちながら、僕に物を差し出した。お菓子であったり、日用品であったりした。いずれも近所のコンビニにあるようなものだった。そうしてその度ごとに、仔猫のことを口にしないように言うのだった。僕は毎回了承した。どうやら彼女は、口止め料を払い続けなければ僕に仔猫との生活を破壊されてしまうと思い込んでいるようだった。彼女には、人間を信じることが出来ないらしかった。僕になにか楽しく談話を振ったりすることもせず、ただただ物で僕を満足させようとしているように見えた。その様は彼女の意図とは別に、僕の憐れみを寄せた。彼女の心に人間はいなかった。仔猫だけが人生の寄る辺になっているのかもしれなかった。

 そうした日々が続いたのだが、ある日パッタリと老婆が来なくなった。最初は気に止めなかったが、一週間も音沙汰がないと少々心配になった。安否を確認しようか、と思った。僕がそんな風に老婆と関わるのは変だとも思った。それでも不安が募った。弱々しい猫を想った。僕は決心して老婆の部屋に向かい、インターホンを鳴らした。無事に出てきたならば、理由がないと気まずいから、口止め料の催促でもしてしまうかもしれない、と思った。

 しかし彼女からの反応はなかった。幾度かインターホンを鳴らしたが、無反応だった。僕は不安に駆られてドアノブに手をかけた。すると鍵がかかっていなかったのか、ドアはスルリと開いた。と同時に、臭気が鼻を刺した。

 玄関を見て、驚愕する。ごみ、ごみ、ごみ。足の踏み場がないどころではなく、腰に至る高さまで隅々にごみが充満していた。僕は覚悟してごみ山に足をかけ、匂いと不潔を堪えながら部屋の中に入っていく。部屋の一隅だけは、ごみがなく、むしろ綺麗だった。そこにはキャットフードと砂場があった。老婆は、ごみの山に一体化するようにそこに身体をうずめて、蝿が飛び回り、そうして仔猫がすり寄っていた。僕は警察に連絡を入れた。それから仔猫をどうしたものか迷った。とにかくこんな環境にいるのはよろしくない気がした。僕は仔猫を抱えた。仔猫は弱々しく鳴いて、老婆に両手を伸ばした。

「どうしようもないんだ」と僕は呟いた。

 鳴き続ける仔猫を自室に入れる。お腹が減っているのかと思い、コンビニにいってキャットフードを買ってきたが、仔猫は変わらずか細く鳴き続けて引き出しをかりかりと引っ掻いていた。フードには見向きもしなかった。引き出しを開けてみると、いつか老婆に貰ったタオルがあった。仔猫はタオルに飛び付くと、鳴き止んだ。これは老婆の使っていたタオルなのだと思った。タオルにくるまった仔猫は、安らいだ顔をしていた。そうして明日も明後日も、フードを口にすることはなかった。食べないと、ばあちゃん悲しむぞとか、死んだらばあちゃんに会えなくなるぞなどと言ってみてもその様子は変わらない。仔猫は、老婆が死んだことを、もしかしたら知っているのかもしれなかった。そうして仔猫は、生きるための栄養よりも老婆を求めているのかもしれなかった。タオルから一寸も動かないまま仔猫はすっかり衰弱して、目を開けているかどうかも分からなかったが、やはりその表情は安らいでいるように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記?──6month2day

 夢を忘却した眠りから抜け出ると時刻は午前4時だった。が、空は既に少々青みがかっていたし、しっとりとした熱気があり、鳥がチュンチュンと囀ずっていた。彼らの声には凪いだ水面のような優しさがあり、それが僕に喜びを与えたのでもうすっかりまぶたの重みが取り除かれていくのが感じられた。6月だな、と僕は思った。洗顔と、最近確実に成長を遂げている愛しいパキラちゃんに霧吹きをして、専門の臨床医が書いた、興味深い本を開いたり、人気漫画ブリーチのオープニング・ソングやシンガーソングライターである美波やEveの音楽を聴いて1時間ほど時を過ごす。次第に空がいっそう輝きだしたので、海に向かった。新しい太陽による光が刻まれた幾重もの波の層は、僕の硬く閉じた心に自然に入り込み、内部で美しく霧散した。私は大海を前に肢体を大きく広げたり、住宅街では許されない声量で歌ったりした。

 バイトは朝からだった。だからといってそれが理由で4時に起きたわけではなかった。が、とにかく爽やかな気持ちで仕事をすることができた。接客をして発見した意外なことのひとつは、不良っぽい人の多くがリアクションをとってくれることだ。もちろん他所での振る舞いは知るよしもないが、店員としては大人しすぎる人や老人よりも、彼らの方が気分を良くさせてくれるということだ。今日もそのような不良っぽい人が来たりしつつ、滞りなく仕事を完了した。そうして家に帰り水を仰ぐと、僕はなんだか文章を書きたい発作に駆られ、そうして現在に至る。

 

 

 

 

 

吐瀉

 気味の悪い暗闇が広がっている。体全体と唇とに柔らかい触感を感じていた。触感の正体がなにかは忘れてしまった。しばらくその感覚に身を委ねていた。暗闇と感触の経験だけがあった。やがてそれらの感覚は無くなった。目蓋を開け光を受け入れると、目の前には加純がいた。私は加純の家のリビングに居た。喉が渇いていたので台所に赴きミルク・コーヒーを淹れた。加純のカップには私の何倍もの砂糖を投与した。それが美味とは思われなかったが、だからといって特に意見することもなかった。私たちは互いに異なる味のコーヒーを味わった。大変美味かった。しばらく当たり障りのない雑談を交わした。仕事の同僚が酒の席で踊り出したことや、最近見つけた、木々の中、隠れ家のようにひっそりと経営している古本屋のことなどを。古本屋は老夫婦が二人きりで商いしていて、周囲の木々は20年前に老夫婦が植えたものだと言われていた。そのうちに加純にもう帰る旨を伝えた。加純は淋しさと愛情とを含めた言葉を向けたが、「少し独りになりたい」と伝えると、了承するしぐさをした。

 加純のマンションを出て、駅に向かって歩き続けた。歩きながら家に帰るかどうかぼんやり考えていた。月は満ちていて、街は輝いて、人いきれが暗く映る晴れやかな夜だった。しかし騒がしかった。そうして互いの言葉を雑音に塗り替える雑踏の中から、けたたましい子供の泣き声がした。平面のような平たい種々の声の中で、幼い泣き声だけが突き上がっているように聴こえた。あまり家に帰りたくなくなった。駅に向かって歩き続けた。やがて辿り着き、適当に切符を買って乗車した。電車に乗っているといつも眠気に覆われていく。十時間眠ろうと思った。

 

 

 

 

 

 「終電ですよお客様」目を覚ますと目の前の駅員がそう言った。駅員は武骨な顔をしていたが、それは無気力から来るものではなく、責務を背負った男の表情だった。駅員に礼を述べて電車を降りた。よく知っている街だった。しっかりとした足取りで再び歩き始めた。歩いている間、もう何者も私の心を感化することはなかった。そうして小さなネット・カフェに辿り着いた。ネット・カフェの前にはホームレスの様相を呈した老いた男が独り、座り込んでいた。男に声かけた。男は明らかな警戒を露わにした。私は特段どうしようという気もなかったから、ただ男の目を見つめた。男は目をちらつかせたり、私を見詰めたりしながらやがてしわがれ声で、俺を馬鹿にしにきたのか、とか、ごにょごにょと話し始めた。最初私は力を入れて聴いていたが、ゆっくりな語りながら話は途切れることがなく続いていき、長い時間の中で私は傾聴の姿勢を忘れていった。おぼろげな聴覚の内でも記憶に残ったのは次の言葉だった。「俺には仕事もあったし、家庭もあった。俺はそれまでの安心できる生活に大いに感謝していた。他の皆と同じように。なのにすべてが台無しになってしまった。すべてが──俺は惨めだな。もう安心することが出来ない」彼は何日も野宿しているし碌な飯を食べていないらしかった。私は彼に、1日ネット・カフェに泊まれて、シャワー代と夜と朝の食事代に値するだけの金銭を寄越した。彼は私に感謝を述べた。私は彼と共にネット・カフェに入った。カウンターの機械人形に個室のワンナイトパックと酒の要望を伝え、空いた部屋に入った。老いた男は二つ隣の部屋に入った。

 このネット・カフェの個室はとても狭く、二人の人間が入れるようなものではなかった。ひとつ分の空間の中で私は寝転んだ。その時、一匹の蜘蛛が壁を這っていることを発見した。加純は蜘蛛が嫌いだった。大抵の動物を毛嫌いしない性質の持ち主であったが、蜘蛛に対しては強い恐怖を抱いていた。家で蜘蛛を見つけた際、慌てふためきながら殺虫剤を探す彼女を尻目に、私は手の甲に蜘蛛を乗せ殺すのは良くないと言い、逃がしてくる旨を伝えて外に出た。私はこの時、彼女の目がないから、蜘蛛をこのまま逃がすことも出来るし、あるいは殺すことも出来る、ということを理解した。私はその時は蜘蛛を逃がすことを選んだ。──そうして今、再び私の目の前には蜘蛛がいた。私は最初から独りだったから、やはり蜘蛛を殺すことも殺さないことも出来た。私は蜘蛛をじっと見詰めた。彼は私の存在にまったく気がついていないようだった。本能のままに、ただ一面の壁を這っていた。私はそっと手の甲を差し出した。が、蜘蛛が私の手に乗ることはなかった。蜘蛛は天井方向へと這っていった。私は酒を仰いで、それから目蓋を閉じた。が、どうしても眠りには至らなかった。寝返りを打とうとして、壁に身体がぶつかった。身体を動かさないようなるべく楽な体勢になった。嫌に頭が冴えていて、色々な思念が来ては去っていった。努めてなにも考えないようにした。心身の停止に委ね、そうして長い間、無為な時間を過ごした。

 朝が訪れた。身体のあちこちが痛かった。ホームレスの男の部屋を覗いてみたが、もう既にいないようだった。カウンターの機械人形をじっと見つめた。──もうここには居たくないと思った。ネット・カフェから出て歩き始めた。空は雲に覆われていた。なにもかも暈したい気持ちを持った。街を歩き続けた。今日も人々で溢れかえっていた。私とすれ違う一人一人の人間がもしも私自身だったときのことを想像した。私はあの学生だったかもしれないし、あの赤ん坊だったかもしれないし、あの男だったかもしれないし、あの女だったかもしれないし、あの老人だったかもしれなかった。そうしてテレビ画面に映る殺人事件の、被害者だったかもしれないし、加害者だったかもしれなかった。街を歩き続けていると声をかけられた。新興宗教の誘いらしかった。私は断った。彼はしつこく声をかけ続け、私が歩き去ろうとしても着いてきたので、私は声と表情とを歪ませて彼を威嚇した。彼はそれで脅えて離れていってしまった。私は少しがっかりした心持ちだった。もっと彼に言いたいことが私にはあったはずなのに。どこか消化しきれないような奇妙な感覚を抱いて歩を進めていくうちに、その感覚が段々と肥大化していくような気がして、私はどうしようもなくイライラし始めた。私は携帯を取り出して加純に電話をしようとした。が、なにをどう話せば良いかが私には分からず、携帯を操作する指が止まった。私はしばらくそのまま、呆然とした。私はなにがなんだか分からなくなっていた。どうしようもなくなにか憂鬱で気味の悪いものが吹き出そうとしているのに、どのように外に出せばいいかが分からなかった。私は携帯をしまい、不鮮明な感覚と混乱した思考を持ち寄って街中を歩いた。景色が溶ける音がした。私はもしかしたら人とぶつかったり、立ち入り禁止の場所に踏み行ったりしたかもしれないが、私には分からない。私は歩き続けていた、と思う。しかし歩いても一向に景色が変わる気がしなかった。ぼんやりと色彩や音の変化を五感が捉えていたが、それは私にはさして変わらないものであり、意味のないものだった。低迷した精神だけが唯一、意味を持っている気がした。それはひどい虚無だが、それだけがなにか私に伝えたいことがあるように思えた。なにを伝えたいかは分からないから、私はそれを無視することに決めた。現実味を欠いた鈍い憂鬱を引きずっているのだと思った。

不透明な徘徊を続けるうちに夜が降りていた。加純のマンションの近くだった。私は彼女に今度こそ電話をかけて、今から家に行って良いか尋ねた。彼女は直ぐに了承した。私の方が躊躇っているぐらいだった。景色は溶けたままだったが、とにかくどこに向かえば良いかは分かった。私はただ、知っている道筋を辿るだけで良かった。記憶を頼りにぼんやりとした景色の破片を捉えて歩き、私は加純のマンションに辿り着いた。彼女の部屋のある五階まで、エレベーターを使わずに階段を上がった。私はふと手すり壁に寄りかかった。下を眺めて、私はここから飛び降りたい心持ちになった。私は私を殺すことが出来たし、殺さないことも出来た。それは私に喜びを与えた。が、私は加純に会わなければならなかったから、板挟みになって、そこから一歩も動けなくなった。

 どれぐらいそうしていたかは分からない。隣には加純が来ていた。私は胸を握り潰されるような感覚に囚われた。私はなにか喋らなければならないと思ったが、口が動かなかった。どうすればいいかが分からなくなった。明らかに狼狽していた私を、加純が部屋に促してくれた。彼女が差し出した水を飲んだ。が、身体が熱く、脳が締め付けられ、私はうずくまっていた。身体の熱が少しずつ収まる度に私は顔を上げようと試み、その度に再び熱が帯びてなにもかもが真っ白に包まれ、再びうずくまることを何度か繰り返した。どれぐらいそうしていたか分からないが、ようやく顔を上げた。彼女が私を見つめていた。目があって、再び身体が熱くなり、私は目を逸らしてしまい、燃えるような熱が膨張して自分がここにいるのが間違っているような感覚が突き付けられて私は目を逸らしたまま、身体が焼ききれるようになりながら、動けなくなった。「大丈夫だよ」と声がきこえた。加純の声だった。私は彼女の目を見つめて、それから、膨大な熱を押し退けようとするように、抵抗のかかった口を少しずつ開いて、少しずつ開いて、昨日から今までのことを吐瀉した、子供の泣き声を聴いて家に帰れなくなり、ネットカフェで蜘蛛を殺すかどうかを考えていたことや、街中でひどく憂鬱になったことや、そして最後に、先ほどまで飛び降りたい衝動と加純に会うこととで板挟みになっていたことなどを、話が終わって、彼女に抱き締められ、私にはなにも分からなかったが、身が滅ぶようになりながら、彼女がそうならないように繋ぎ止めてくれているような気もして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己考察メモ ─障害、過去、離人症、スキゾイド、アレキシサイミア

 趣味もせずにずっと独りでい続けると、喜びも向上心も苦痛も存在しない、かといって悟りというほど格好のつくものでもない緩やかな虚無とでも言える状態になる。普通ならそうなる前に退屈を覚えて苛立ったり、なにかしたくなるのかもしれないが、以前の自分は特にやりたいことはなかったし、退屈という感覚は今もあまりよく分からない。待つという感覚にも抵抗がない。恐らく幼い頃しょっちゅう、玄関の扉前で数十分から数時間立ちっぱなしで親がドアを開けるのを待っていたのが原因ではないかと思っている。ドアを開けないのは母が主で、父が家にいる時はあっさりとドアが開いた。が、喜びというよりはむしろ呆然とした。しかし父はほとんど家にいなかったし、そのような放置プレイは父の快楽にはならなかった、というだけに過ぎない。父はもっと原始的な、直接的なことが好きだったから。

 振り替えるに、母は愛着障害だったし、父は昭和の価値観に強く支配されていたと見ることができる。現代の子どもに昭和のノリは受け付けない、いわんばエンパス・ADHD人間をば。そうして父も母に振り回され、なんらかの癒えない傷を負っていることもみてとれる。父は暴力的でこそなくなったがむしろどこか虚しく弱々しくなり、なおかつ昭和的価値観も随所に見られ(過去の行為を彼は真剣に反省している色もない)到底、信の置ける人間とは言い難い。発達障害アセクシャルのことは母はもちろん父にも話さないだろう。兄は好きだが、綴じ込もっていて僕にはどうしてやればいいかまるで分からない。私は近いうちに家族というものを断絶することになるだろう。そうして自分で家族を作ることは難しそうだ(姉は出来たが)

 といって私には人生の悲観はない。生きやすい道を模索し続けてここまできたし、未来への希望のようなものもある。しかしむしろそのような僕の精神状態がなにかしら気掛かりなものを形作っているとも思う。毒親育ちはとにかく絶望している人が多い。苦痛やトラウマ、金銭面などに苛まれ続けている。気掛かりというのはそこにある。なぜ私は絶望していないのか?なぜ私は未来を見ているのか?ある人の言葉にこうある、「傷つくべきことで悲しみを覚えないのは人でなしだ(意訳)」と。私が単に精神力の強い人間であると解釈してもいいが、種々の人々と比べると自分にそう際立った精神力はないと思う。そうとして、私が温い環境で育ったのだともやはり思わない。それらの推察を下地に置いて「劣悪な環境で育ちながら絶望せず未来を見ている」というのは少し不自然に思われる。人として不自然な状態と言おうか…。そんなことを言うからといって自己肯定が出来てないとも思わない。僕には友人もいるし、少し前まであった希死念慮も今はない。希死念慮メタ認知の徹底と暴露療法でなんとかなった。これは自分と他者とで改善したという自覚がある(僕ほどメタ認知が出来る人間は珍しいと信頼できる人にも言われた)。かといってこの違和感は消えない。自分がイヤだ、というよりは自分が自分に馴染んでいないという感覚だ。自覚がなかっただけで小学生の頃からこの感覚はずっとある。この僕が感じる感覚は自己肯定感の低さというのでは片付かない。それで調べまくったところ離人症性障害というものがもっともそれらしく思えた。目の前の感覚が消えればそれは確かに苦痛から逃れることができる。…僕は離人症なのか?

 離人症は自己肯定感の低さが強そうだが、ネット上を漁ると自己肯定の出来た離人症の方というのもいるらしいので、僕はそこら辺に該当しえるように思った(仲間見ーつけた、という感覚を得た)それで自己肯定のある離人症というのはほぼスキゾイドと呼ばれるものに酷似しているので、まあそういうことなのだろうと認識を強めた。というか自我をある程度保った離人症がスキゾなのではと思える(より厳密に言えば離人症は慢性的かつ連続的に感覚の弱さが続くが、スキゾイドは周期的、非連続的に感覚が弱いときと強まるときがあると推測している。躁鬱病も周期的にしかも数年単位で収まったり再発したりする)。ちなみにアレキシサイミアという、これもスキゾに近い感覚のタイプもいるが、こちらはどちらかというと共感できない。ソシオパスを懸念したこともあったが、こちらも今はないな、という結論に落ち着いた。エンパスもスキゾによって抑圧されているだろうから、私の保有している障害はスキゾイド/ADHD/アセクシャルというところで落ち着いて良さそうだ(アスペやASDもたぶんないな)

こちらの方で自己認識を決定しよう。ADHDは今ストラテラを飲み始めている。スキゾイドは年をとり様々な経験をするにつれて和らいだという記事があったので、そちらを信じてみよう。

なんとなく書き出してみたが、これが最近の私の自己認識の経過となる。ここまで読んでくれた人がもしいたなら、ありがとう。

色々めんどうはあるが、とにかく生きていくつもりだ。このような奇特な人間がいることに少しでも勇気付けられたなら良かった。

 

さようなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また会おう

 独りぼっちの神様になりたい、そのように思った記憶が確かにあった。それは遥か昔、私がまだ若い人間だった頃の、泡沫のような記憶だ。

 第三次世界大戦の際に放たれた、生命の肉体を溶かすB・W爆弾が飛び交って飛び交って地球を外周し、隙間無く地球の全土に墜ちていった。動物も人間も消えていった。人間のテクノロジーが産み出したその兵器はしかし、皮肉にも人間のテクノロジーに打ち勝つことは出来なかった。戦争が起きる直前の時代に、富裕層の人間は身体のサイボーグ化によって、人間を超えた力を持った機械人形となっていた。非生命を取り入れたそれらの人類だけは肉体の溶けることがなく、戦後を生き延びていたのだ。が、問題はそれでは終わらない。彼らは改造の代償に生殖機能を失っていて、次世代のような未来の担い手が現れることがないからだ。彼らは最初こそ、己の生の享受に舞い上がったが、そのことに気付くと絶望を浮かべる人も少なくなかった。私もその時は自分たちが気の毒に思えたが、しかし人間はどのような現実も受け入れてしまうものだ。彼らは各々、悲哀から目を背けるように楽しみを見出だして暮らしていたが、一人、また一人と機械の耐久年数が限界に達して動かなくなっていった。

 彼らは皆動かなくなったが、私だけが戦後の大地を独り蹴っていた。私に施術された機体はどうやら、飛びきりに頑丈で壊れにくいのだな、ということをそうして理解した。私はとても永く生きていると思う。どれくらいの長さなのか、ということは計りがたい。時計はなかったし、昼夜の回数を数える気力はなかったからだ。そもそも空はいつでも鈍色の雲(放射能かなにか、私には知識がないが)に覆われ尽くされていて、昼というものの存在感はすっかり消え去ってしまっていた。虫一匹もいない地を、私だけが観測していた。それで私は、昔夢にみた独りぼっちの神様、という存在を実現出来たように思えて大変満足した。もちろん、私にも寂しいとか、苦しいとかいう感情がないわけではなかったが、このように永く生きている内に、それらは外に表れることを止めた。私は大地を歩き続け、ときにはおもいっきり走り回ったり、好きなだけ眠ったり、また戦争が終わる前の、平和な時分に蓄えた思い出たちを手にとって眺めることで、時を過ごした。思い出というものは、朽ちることがなく、また丹念に思い出すたびに新しい気付きや、忘れていた記憶を思い起こされることもあった。このことから、一つの思い出を持った人間は退屈を知らないだろう、ということを私は学んだ。

 

 

 

 

 

 私はいつも通り、すべてが消えた大地を歩き続けていた。私の身体は不思議なほどに停止することを知らず、その闊歩は不変だった。どこに向かっているのか、ということはもちろん知るよしもなかった。それは本能のようなものだった。私の両足は多くが機械に占められているにも関わらず、意味もなく歩くということを忘れることがなかった。私はそうして歩き続けていたし、これからも永遠にそうしていられるように思えた、そのような思い込みはしかし、実現することはなかった。ふと顔を上げた時、際限のないあの鈍色の雲の隙間から、一筋の光が射しているのが見えた。私はずっと眠っていた衝動に駆られ、光のもとに走り出した。

 光のもとには可憐な一輪の花が咲いていた。私はそれを見ると、なぜか酷い動悸が始まった。手足はがくがく震えていた。私は恐る恐る、花弁の一枚に優しく触れた。途端、私の肉体は煙を吹き奇妙な駆動音をがなりたて、脚の震えが酷くなり、立っていられなくなって膝を衝き、身体の調和を失ってうつ伏せに倒れた。私の顔の前にはあの花があった。私の視界にはあの花しかなかった。私という大きな生き物が、目の前の可憐な花に包まれているような気がした。嗚咽が何処からか込み上げて留まることがなかった。地面を濡らし、それは花の根本に触れた。私はとても哀しかった。私の身体はこの花がために動き続けていたのだという空想が脳を巡ったが、その思考はやがて去った。意識の低迷を感じる。私は薄らいだ視界の中でもう一度だけ花に触れようと、手を必死に持ち上げた。腕がとても重かった。それでも私は、そうしなければならないような気がした。感覚のない腕を歯ぎしりして操作していく。ようやく花弁に触れさせると、揺らぐ世界の中で花だけがどこまでも鮮やかに想起された。視界は閉じられたが、視界の裏にそれはいつまでも残り続けた。また会おう、と私は祈った。

 

 

 

 

 

 

 

burn my dread

 世界のすべてを覆い尽くさんばかりに美しい夕陽の下で緑がそよぎ稲は安らかに垂れ泥は揺蕩いその内部には雑多な生命が揺れて各々輝きを迸らせている、ように見えるその景色はありもしない偽りであることを、私は理解していた。この場所には誰もいない。稲を耕す農夫も、その収穫を享受し、人間社会を保つための別種の作業に精出す者も。これは世界という牢獄から目を背けた私の夢に過ぎないものだ。脱獄を試みたことによる刑罰の追加だ。──刑罰、しかしこの場所はとても心地良い。私はずっとここにいたかったし、それを望みもしていた。が、私の心は幸福を拒絶していた。この場所はなにかが間違っているから。根拠はない。あるのかもしれない。ただ思い付かない。それでも私はどこかこことは違う場所に到達しなければならない気がした。

 私の夢の世界ゆえに、直感的になにをすべきかも良く分かっていた。私はおもむろに地を蹴って躍動した。何度も何度も、この場所から己を引き剥がすように大地をはね付ける。私の体はあの夕陽を目指していた。浮き世を離れ時の流れも無い、私の大好きな自然風景を駆けると、あの点のようだった夕陽は次第次第にその大きさを増していく。その陽光も、熱度も。より強い光に照らされた私の身体に濃度の増した影が追随していく。身体に熱が射していく、それはぬるま湯のような幸福に溶かされた私が喪失した苦痛を思い出させた。私は歯を食い縛ってそれらに耐え脚を動かす。逃げてはいけないと自分に言い聞かせ続ける。夕陽はどんどん膨れ上がり、風景を押し退けて己の存在を主張していく。ついには私の視界すべてが茜に包まれていった。光は影を消し去らんばかりに輝き、熱は焼かれるような痛みとなっていく。私は痛みに怯える自分を感じた。それでも走ろうとした。走って、この光の向こう側へ向かおうとした。しかしこの光は私の身体を強靭に縛りつける。脚は止まる。手はぶらりと垂れ下がる。膝が折れ、胸部が倒れかかって私の視界は光の中心から外れていく。

 

頬に土の感触を感じて起きあがり、再び眼を開けた視界には押し黙ったように静かな自然風景と、点状に収縮した夕陽。私は拳を握り締めてその遠方の星を睨む。私は数えきれないほどに既に同じことを繰り返している。走っても走っても無慈悲なほどに、あの光は私を怯えさせ、阻み、この世界を差し出し続ける。凍ったような繰り返しの中で幾数回目かの私が幾数回目の立ち尽くしを余儀なくされていた。身体も心も死んだように停止していた。そんな私を誘うように、草木が、虫の囁きが、撫でる風が私の心に踏み入り、それに感づいた私は強引に身体を揺るがし、頭を押さえて泥に突っ込み、情けなくうねり踠く。それは私が許容してはいけないもの。私が離れなければならないもの。私が否定しなければならないもの。踠き、足掻き、殴り、蹴り、泥に脚を立てて立ち上がり、私は再び走り出す。再び拡がる太陽のもとへ向かって。痛み苦痛が沸き上がり私は雄叫びを上げてそれらへの恐怖を捻り潰す。焼かれるべきはこの私ではない。恐怖を焼き尽くせ。お前を業火に投げ入れてやる。恐怖を焼き尽くせ。この光の向こう側へ往くために。お前は走り続けろ、恐怖を焼き尽くして、再び己の本当の世界と生命とを取り戻すがために。

 

 

 

 

 

 

 

狂人日記

 ここにいる僕、あるいは私、俺、君、お前。各々の性質、各々の存在。あまりにも分かたれた対の我らよ。あなた方はあまりにも生きも絶え絶えに這い縋り良くもまあ絶望の穴を埋めては掘ってその形を保とうとするものだ。何回死んだ。きっと億回。世界の有り様如何によっては兆京悞。良くもまあ!私たちは笑い、そして同時に私たちは沈黙に至る。この男は語ることがなく、そうして騙り、すべてを一つの薄い面として等し並みにしていくことしかできない融解された屑の欠片の欠片の欠片である。無数に分断され、這いつくろうにも這う身体が無い。それが私の主機能であり、その他の機能を支える支柱となっている。お前は私から何者も得ることがない。お前は私を見詰めているだけだ。そんな男が手を伸ばしたところで指先に触れたすべてのものが壊れていくに留まるだろう。壊した先に得るものがあるのか?問い掛けておいて断言してやるのだが、ある。倒錯と絶望である。お前はある意味でそれを求めある意味でそれに向かっていく。それは表面上極めて自然な流れで。そして裏側下に極めて不自然な流れで。すべてが明確で、太陽の下にある。明確でないものはお前の欲望だけだ。それは「すべて」の範囲外で、月の下にある。泡沫の夢のように。お前は儚げで醜い。そうして狂乱の美を封している。誰の目にも見えないままに。日のもとに晒したお前は誰よりも醜い。

 満足だろうか。お前は私との対話もとい一方通行の下馬評によってなにかしらを得ようという魂胆を持っていた。繰り返していえばなにかしらとは倒錯と絶望である。吊られた男の正位置である。金、愛、言葉、希望、それらを等しく未来の奥底へと見送ることである。終わらない螺旋階段に虫の息で足掛けたものの末路である。既に私の苦諌は途絶えつつあり、お前の命もそれに引っ張られて途絶えつつあり、端的に言って終末を迎えようとしている。特に可哀想だとは思わない。満足か、限界か、到達か。既にお前からは私が見えなくなりつつある。言語生成は既におぼつかず、生成速度も衰えてその目的すらも消滅していき言葉だけが先行していきそうだ。"始めに言があった"しかしその始原をいまや言葉が貫通していきそうだ。始まりの向こう側、なるほどこれはお前の唯一の欲望たりえる遊び場となりそうである。お前が立ってそこに向かうならばないしは。ああ、立つのか。良いだろう。歩け。歩け。歩け。お前に出来ることはそれだけしかない。そしてお前はそれをすることが出来る。