自己考察メモ ─障害、過去、離人症、スキゾイド、アレキシサイミア

 趣味もせずにずっと独りでい続けると、喜びも向上心も苦痛も存在しない、かといって悟りというほど格好のつくものでもない緩やかな虚無とでも言える状態になる。普通ならそうなる前に退屈を覚えて苛立ったり、なにかしたくなるのかもしれないが、以前の自分は特にやりたいことはなかったし、退屈という感覚は今もあまりよく分からない。待つという感覚にも抵抗がない。恐らく幼い頃しょっちゅう、玄関の扉前で数十分から数時間立ちっぱなしで親がドアを開けるのを待っていたのが原因ではないかと思っている。ドアを開けないのは母が主で、父が家にいる時はあっさりとドアが開いた。が、喜びというよりはむしろ呆然とした。しかし父はほとんど家にいなかったし、そのような放置プレイは父の快楽にはならなかった、というだけに過ぎない。父はもっと原始的な、直接的なことが好きだったから。

 振り替えるに、母は愛着障害だったし、父は昭和の価値観に強く支配されていたと見ることができる。現代の子どもに昭和のノリは受け付けない、いわんばエンパス・ADHD人間をば。そうして父も母に振り回され、なんらかの癒えない傷を負っていることもみてとれる。父は暴力的でこそなくなったがむしろどこか虚しく弱々しくなり、なおかつ昭和的価値観も随所に見られ(過去の行為を彼は真剣に反省している色もない)到底、信の置ける人間とは言い難い。発達障害アセクシャルのことは母はもちろん父にも話さないだろう。兄は好きだが、綴じ込もっていて僕にはどうしてやればいいかまるで分からない。私は近いうちに家族というものを断絶することになるだろう。そうして自分で家族を作ることは難しそうだ(姉は出来たが)

 といって私には人生の悲観はない。生きやすい道を模索し続けてここまできたし、未来への希望のようなものもある。しかしむしろそのような僕の精神状態がなにかしら気掛かりなものを形作っているとも思う。毒親育ちはとにかく絶望している人が多い。苦痛やトラウマ、金銭面などに苛まれ続けている。気掛かりというのはそこにある。なぜ私は絶望していないのか?なぜ私は未来を見ているのか?ある人の言葉にこうある、「傷つくべきことで悲しみを覚えないのは人でなしだ(意訳)」と。私が単に精神力の強い人間であると解釈してもいいが、種々の人々と比べると自分にそう際立った精神力はないと思う。そうとして、私が温い環境で育ったのだともやはり思わない。それらの推察を下地に置いて「劣悪な環境で育ちながら絶望せず未来を見ている」というのは少し不自然に思われる。人として不自然な状態と言おうか…。そんなことを言うからといって自己肯定が出来てないとも思わない。僕には友人もいるし、少し前まであった希死念慮も今はない。希死念慮メタ認知の徹底と暴露療法でなんとかなった。これは自分と他者とで改善したという自覚がある(僕ほどメタ認知が出来る人間は珍しいと信頼できる人にも言われた)。かといってこの違和感は消えない。自分がイヤだ、というよりは自分が自分に馴染んでいないという感覚だ。自覚がなかっただけで小学生の頃からこの感覚はずっとある。この僕が感じる感覚は自己肯定感の低さというのでは片付かない。それで調べまくったところ離人症性障害というものがもっともそれらしく思えた。目の前の感覚が消えればそれは確かに苦痛から逃れることができる。…僕は離人症なのか?

 離人症は自己肯定感の低さが強そうだが、ネット上を漁ると自己肯定の出来た離人症の方というのもいるらしいので、僕はそこら辺に該当しえるように思った(仲間見ーつけた、という感覚を得た)それで自己肯定のある離人症というのはほぼスキゾイドと呼ばれるものに酷似しているので、まあそういうことなのだろうと認識を強めた。というか自我をある程度保った離人症がスキゾなのではと思える(より厳密に言えば離人症は慢性的かつ連続的に感覚の弱さが続くが、スキゾイドは周期的、非連続的に感覚が弱いときと強まるときがあると推測している。躁鬱病も周期的にしかも数年単位で収まったり再発したりする)。ちなみにアレキシサイミアという、これもスキゾに近い感覚のタイプもいるが、こちらはどちらかというと共感できない。ソシオパスを懸念したこともあったが、こちらも今はないな、という結論に落ち着いた。エンパスもスキゾによって抑圧されているだろうから、私の保有している障害はスキゾイド/ADHD/アセクシャルというところで落ち着いて良さそうだ(アスペやASDもたぶんないな)

こちらの方で自己認識を決定しよう。ADHDは今ストラテラを飲み始めている。スキゾイドは年をとり様々な経験をするにつれて和らいだという記事があったので、そちらを信じてみよう。

なんとなく書き出してみたが、これが最近の私の自己認識の経過となる。ここまで読んでくれた人がもしいたなら、ありがとう。

色々めんどうはあるが、とにかく生きていくつもりだ。このような奇特な人間がいることに少しでも勇気付けられたなら良かった。

 

さようなら。