多種多様な仮想人格を広大な精神内部にぶちまけた貴方はそのうちに殺されるだろう。と預言者は言った、たぶん自分の予言を余り信じていない夜のガードレール染みた暗くて白い顔。太陽を知らない耽美な肌。日本人形のごとく、少しずつ色味をズラした金と紫の服が幾重にも重ねられどこか絢爛で、きっとその服の下は痩せ細っていることが顔から窺える。生気がない。でも死んでいない。というかなり面白い顔をしていやがるのだが別に笑う必要もないと僕は思った。笑っても、きっと彼には意味がないという直感が僕の脳内を駆けた。あまりにも強く。僕の脳を突き抜けて味噌をぶちまけるほどにはそれは強固、そういう圧倒的なイメージが、生きているとたまにある。「誰だ?」という問いを僕はかけない。かける意味がないからだ。◼️◼️◼️僕と彼は初対面で、彼が預言者であるということは冒頭より少し前の会話で判明した。でも、もうその会話は忘れてしまった。僕の記憶はあまり強固ではない。普通の人は、直前の会話ぐらい覚えているらしい。でも、普通の人は、さっき書いた圧倒的なイメージというものをあまり持ち得ないらしい。これは一長一短のロールモデルとして国語の教科書に乗せたいところではあるけれども、とにかく、今最も重要な情報は、彼が預言者であるということだ。彼は僕の未来を知っている。

 追記・僕は僕の未来には興味がない。

 追記2・ここは裏町の一角にある暗く木製でドアの壊れた建物の内部であること。僕はこういう場所に足を踏み入れるクセがある。たぶん、退屈しないからだ。逆に言えば、僕が楽しめるのはこういう場所だけだ。それは危うさがあったが、それが僕の生き方であるのでこれで良いと思う。

「貴方は」預言者が口を開く。

「貴方の人生を望んでいる。……輝かしい人生を」

「そうだね」

「それは富と名誉には関わりがない」

「間違いないね」本当にそう。預言者は実に預言者らしく僕の性格を鮮やかに見通してみせる。楽しくなってきた。

「そして」

「でも僕は死ぬ」少しばかりの意地悪を垂らしてみせる。貴方ばかり話していても僕は退屈するからだ。

「ええ、このまま貴方が嘘を付き続けるのならば」

 嘘。これは心当たりが多すぎる。僕の常用手段。嘘の情報を囁き、嘘の関係を作り、嘘の感情を作り続けてきた。嘘の、仮想の人格のイマジネーションを知人友人恋人にばら撒き続けてきた。

 嘘=死、それはむしろ一層の虚言を掻き立てる方程式にしか、僕には感じられないのだが。

 生きなければ死ぬことが出来ない。死ななければ生きることが出来ない。これは圧倒的なイメージに担保された僕の持論であり、おそらく僕以外の人間にも抱え得る人間のひとつの生き方のようなもの。生も死も等しく求め矛盾を起こして歪み切る。その歪みに対峙するマゾヒストの一種。だから困る。死ぬなと言われても困るし、生きろと言われても困る。

「挟まれていたいんすよ」僕は言う。

「生と死。命と無機物。その狭間みたいな場所に僕は立っていたいんだ。それがぼくちんの存在の輝き──そういうものであると思う。」にっこりと笑みを焚べながら僕は続ける。

「だから、殺されるとか言われても、困ります。その殺人者、なのかな。そいつから逃げることは生きてしまうことになるし、殺人者にされるがままにしても死んでしまうことになる。そいつの存在は邪魔すぎるし、だから、あれだなぁ、困りますね」

思い付くまま流暢に喋る。それが僕。僕は僕。真実かどうかなどどうでも良い。これはそういうものであるのだから。

「でも貴方は殺される」預言者は言い切る。

「うーん対処法は?」口をへの字に曲げ、顎にてを添えて、大仰に斜め上へ視線を流しながら僕は言う。

「ええ、そのまま殺されていれば良いと思います」

 なるほど。とりあえず僕が判断すべきことは、彼を殴るか殴らないかということだ。理由は返答が詰まってらくに流れないトイレのようにつまらないからだ。

「そんなに興奮しないでください」まるで一国の頭領のように預言者がいう。僕は自分でも知らない間に作っていた握り拳を弛緩させる。

「貴方は殺されるという言葉の意味を履き違えている。大丈夫、きっと貴方の望むようになる」

 

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 分からない。新種の謎々を出されたのかもしれない。あの預言者は結局、殺されるとはどういう意味であるか、という問いには答えることがなかった。でも僕は天才なので、その理由を推察するのは容易い。彼は意味合いを曖昧にすることで、殺されるという言葉の意味合いを曖昧にすることで、僕の生と死の狭間に立ちたい、という欲求を叶えてくれたのではないのだろうか。彼の予言が真実であろうと、その子細な内容を僕自身が知ることが出来なければ、僕の在り方は確かに守られる。それは理に叶ったことだ。ちなみに僕は既に帰宅してる。時計を見る。午前一時三十ニ分。眠くはない。明日は日曜日でしかも快晴だ。寝る理由がなかった。かといって動く理由もなかった。仕方なく僕は布団の上でゴロついていた。思考の海をしばし彷徨った後、殺人者について考えが及んだ。

 いつ来るのだろう?

 と同時に、「殺されるということの意味を履き違えている」という、あの色のない唇から抜け出た言葉も僕には珍しく、忘れてはいなかった。

 僕は頭を掻いた。僕は寝返りをうった。僕は枕を掲げてくるくる回してみせた。時計の針もこれぐらいの速度で回って欲しかった。

 楽しみなのだ。僕にとって死はひとつの意味しか持たなかった。完全な消滅、そのような意味でしか。新しい意味──新しい死! それは大いに僕の好奇心をそそった。僕はなんなら死にたくなった。正確には殺されたくなった。口角が上がった。「そんなに興奮しないでください」──無理だ。僕はより一層の高揚に厚く抱かれて飛び起きた。

 目の前に、人がいた。女性だった。前触れもなく音もなく。そうして途端に眠くなった。通常、誰とも知らない人が自分の部屋にいれば目は覚めるものであり、僕が通常の範疇に収まらないことを考慮しても、それは変わらないことであるはずだった。

 殺されるのか?意識の片隅でそう思う。新しい死とはかように僕を置いてけぼりにするものなのか? いやそれはない、預言者は僕の望むようになると語った。それを嘘でないとして、僕のような虚言人間のクチでないとして、そこには確実に僕がいるはずである。というか、今日僕は預言者と別れてから誰とも喋っていない。つまり誰にも嘘をついてはいない。預言者は嘘をつき続けると殺されるだろう、そうも言ったはずで預言者がやはり嘘つきなのか、というところまで考え、ハッと思い至る。

 僕が僕自身に嘘をついているのではないか。そういう可能性が、という意識の淵における思考を回す。もう眠くてたまらないが、これだけはまとめなければ。

 他人を騙す前に、僕が僕に騙されている。そういう考え方は確かにいままでしなかった。だから困った。僕は誰なのか、僕はなぜ生きてきたのか、すべて振り出しになるような劇薬の味を、ぼんやりとした脳の中で噛み締める。思考は既にして霧に覆われつつあり、さしあたっては僕がやることは二つ。

 来世は嘘つきに生まれないことを祈ること。

 そうして今現在、この圧倒的な眠りの感覚を、最後の一滴まで味わいつくすだけだった。