メモ

 純粋経験とは今現在の知覚をありのままに経験すること。一例として視覚において、リンゴをリンゴとして認識する以前にその色形を知覚しているように、視界に色や形を知覚した際、それが自分が見ているものである、自分の目の前にある、どんな形で色でどのようなものである、などといった判断を加えていないこと。そうした判断、つまり思考の対象となるその内容は現在ではない過去の経験によって構成されたものであり、特定の要素を抽出したものであり、仮想的に作り出されたものであり、それら思考されたものは純粋経験ではない。それは単に特定の要素の抽出となる。過去を振り返った時には知覚の全体像は消える。純粋経験は振り返った時にはそこにはない。純粋経験は常に現在であり、振り返ったならばそれは過去になっているのだから。過去は過ぎ去ったものであり過去は既に存在しない。過去は非現実的な仮想となる。

 純粋経験は現在における知覚すべてが統一されている状態と言える。思考の際、その対象は特定の要素が抜き出されると言うのは、純粋経験が統一したものであるのに対して思考は分裂されたものだからだと言える。思考は純粋経験を解体することによって要素的・条件的で様々な区別・比較・再構成が可能な仮想の世界を作り出すということ。純粋経験は常に知覚すべてが全体としてあるので区別も比較もすることは出来ない。純粋経験は過去ではなく仮想ではなく部分ではない今現在のすべての知覚を指す。そういった意味でこそ思考の手を加えない今そのままにある世界が現実であり純粋経験たるゆえんになる。