死角

 

 「なあ、飲み物はいるかい……」気だるい声。愚かな声。誰かの声。これは僕の声だったのか、と認識した。そのように独りごちた僕の耳にしか届かないだろう言葉に予想に反して返事が上がった。

「いるよ」

そうか、いるのか。と離散していくつかのポータルに飛び去った反応回路が、脳を通らないかのようになんの思考も蠢かぬまま、声のした場所に手を動かし、触れたものに指をゆっくりと這わせていく。僕の手の平と同じぐらいの長さで、太さは二の腕ぐらいだろうか。つるつるの円柱のようでいて、上部にいくにつれて細くなる。頂上部は触り心地も変わっている。そこを捻ると回った。おそらくペットボトルだろう。キャップと思われるものを投げ捨てて、頂上部を口に咥える。それは緑茶の味だと思った。ともすれば、液体は優しげな茶色で、緑色のラベルがこのつるつるの正体なのだ。私は一気に緑茶を飲んだ。大変美味しかった。が、もう飲み干してしまった。私はペットボトルを投げ捨てた。なにかを忘れていると思ったが、思い出さなかったので、最初からなにも忘れていないのだと誰かに言い聞かせた。

私は顔を上げた、と思う。思う、というのは、これは奇妙な言い訳だが、私には顔が見えないので、断定できることではない。

だが、眼ならば、上空に浮いている。それは私の眼ではなく誰かの眼なのだが。彼にはすべてが見えているのだろうと思った。どこにいっても逃れられるものではない。逃げ道はないのだ。だからこうして、ただ顔を上げている。それだけが、私にできる唯一の戦いであるから、私はずっと顔を上げ続けているのだ。

喉が乾くまで。

誰かの声が僕の空に届くまで。